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夫のルーツをたどる旅[1]…日系一世の悲話(2ページ目)

結婚式の翌々日から、お2人はヤマダ家のルーツをたどる旅に出ます。最初の目的地は甲府。そこにはおじいさん方の親戚がいるのですが、日系一世であったおじいさんのご両親には、悲しくつらい物語があったのです。

執筆者:シャウウェッカー 光代

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おじいさんのご両親=日系アメリカ人一世の苦労

ぶどう畑の脇に立つお地蔵様。のどかな日本の原風景です。おじいさんのご両親はこの近くに住んでいました
おじいさんは日系二世のアメリカ人です。おじいさんのご両親(スコットさんの曽祖父・曽祖母に当たる)は日本で出会い結婚。その後、父親だけが、大きな夢を抱いてアメリカに渡ります。おそらく、未知の土地なので、まだ妻は連れていかず、自分だけ行って現地の実態を見たかったのでしょう。

ロサンゼルスではクリーニング店の仕事につき、順調に生活していたようです。まもなく日本に一時帰国。その時、最初の子を授かります。しかし、身重の妻を残し、再び父親だけアメリカに戻ってしまうのです。その後に生まれたのが長男、つまりおじいさんのお兄さんでした。

待てども待てども帰って来ない夫。あまりに帰ってこないので、ついに母も海を渡る決心をします。連れ戻すつもりだったのか、または心配でただただ様子を見に行きたかったのか……。とにかく早く家族全員で一緒に暮らしたかったのでしょう。

いずれにしても、今から一世紀近くも前のことですから、女性にとって単身渡米することがどんなに大変なことか、想像に難くありません。

そのうえ、当時5歳になっていた長男は身体が弱かったため、長旅に同行させるのには不安が伴いました。心配した親戚の人たちが「帰ってくるまで面倒を見ていてあげるから、おいていきなさい」と言ってくれたそうです。本当は連れて行きたかったのですが、当時の外国は今ほど簡単に行けるところではありません。船旅の途中で病気にでもなったりしたら……。また、無事に着いたとしても、外国の気候風土が息子の身体に合わないかもしれない……。母は泣く泣く長男を置いて行ったそうです。

5歳といえば、もう物心がついていますから、長男にとってもつらい別れになったことでしょう。母恋しくて、毎日泣いていたかもしれません。「いい子にしていれば、お迎えにきてくれるからね」と親戚の人たちになだめられていたのではないでしょうか……。
ご両親も、なるべく早く迎えに行くつもりだったろうと思うのです。

ところが……

両親は無事、アメリカで再会することができたものの、まもなく第一次世界大戦が勃発。日本に帰国するビザが取れず、今度は母親までもが帰ることができなくなってしまいました。その後、アメリカで生まれたのがスコットさんのおじいさんであり、その兄弟でした。

日本に残してきた長男とは、再会の機会を逸したまま、年月は過ぎてゆきました。やがて、時代は第二次世界大戦へ。そして、おじいさんが20歳くらいのときに、最後まで長男のことを案じながら、母は帰らぬ人となります。日系一世として苦労してきた父は、先に他界しており、長男とは生涯会うことがなかったそうです。


おじいさんはお兄さんに会うことができたのでしょうか……?


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