■ご両親の毅然とした態度に感謝
強力タッグのおばさんたちに対して、ご両親は……
「母はもうカンカンに怒っていましたね。『私の葬式にもし来るのであれば、お線香の1本もあげさせてくれるな』と言っていました。
父の場合は血のつながりがあるから、複雑だったのではないかと思います。でも、もう結婚を許さないわけにはいかないところまで来ているし、娘がそう言ってるんだからと、最後まで私の味方をする立場を貫いてくれました。両親には本当に感謝しています」
ご両親が、この強烈なおばさんたちの反対を押し切ってまで、娘の意志を尊重してくれたのは、Y子さんいわく「これを反対したらもう婚期を逃すんじゃないか、と思っていたらしい」からなのです。
Y子さんは30歳目前だったので、ご両親としては、できればもう結婚して落ち着いてもらいたいと思っていました。そのタイミングでの話だったので、仕方ないという気持ちだったのでは、と……。
「私が20代前半だったら、もっと反対されていたかもしれませんね」
■いまだに続くイジメ?
さて、あれからもう10数年たち、おばさんたちは既に80代になっているそうですが、今はY子さんとの関係はどのようになっているのか、うかがってみたところ……
最近になって、そのうちの1人のおばさんと、近所でバッタリ会ったのだそうです。そのおばさんは、もともとそんな悪い人ではなく、当時は他の強いおばたちに引きづられていたという印象でした。
Y子さんが挨拶したところ、おばさんも言葉をかけてきました。そしてY子さんの子どもにお菓子を買ってくれて、家が近いのだから遊びに来てねと言ってくれたのだそうです。
家に帰ってから、お礼状を出しておかなければと思い、家に誘っていただいた言葉を受けて、「機会がありましたらうかがわせていただきます」と書いて出したところ……
そのあと、また話がめぐりめぐって、Y子さんのところに流れてきました。
いわく「アメリカ人と結婚しただけあって、ずうずうしく遊びに来るって書いてきた」というのです。
「そのおばが言ったのか、他のおばが話を聞いて言ったのかは、わからないですけどね。だから、私はいまだに悪者なんですよ。何かにつけて悪口の対象なんです」
現在では法事以外におばさんたちと顔を合わせることはありませんが、いまだにY子さんのことを快く思ってはいないといいます。
ただ、いとこたちは、昔そんな一件があったことを知らなかったり、後で知って「自分の親たちが非常識なことをした。申し訳なかった」と詫びてくれたりしているそうです。
「私のほうはこんな感じでしたけど、彼のお母さんのほうがもっと複雑だったかもしれません。できれば白人の女性と結婚してもらいたかったのではないかと思いますよ」
このことについては、Y子さんは多くを語りませんでしたが、彼のお母さんと心を通わせるまでに多少の時間を有したであろうことが察せられます。
ご主人も、「今は年をとっているから反対しないけど、母がもっと若かったら反対していただろう」と言っていたそうです。
「それでも許してもらって認めてもらえたから、私なんかいいほうだと思います。
友人カップルは、アメリカ人の彼のご両親が反対していて、いまだに許してもらってないんですよ。3人いる孫にも会ってくれない。孫はもうけっこう大きくなっているのに、一度もアメリカのおじいちゃん・おばあちゃんに会っていないんです。これは、親にしてみたらツライでしょうね」
■結婚は○○の始まり
婚約から約半年後に結婚式を挙げました。
でも、こんな事情があったので、親戚一同を呼んで大々的な挙式・披露宴というのはしなかった(というより、できなかった?)そうです。
メインの結婚式は、新婚旅行を兼ねてアメリカで挙げ、日本ではお祝いしてくれる身内と会社の同僚や親しい友人を招いての披露パーティーを……。
ご両親もさぞホッとされたことでしょう。
さて、ここから2人の結婚生活が始まります。
「でも、落ち着いて相手を見るのは、結婚してから始まったようなもんだから、始めの頃はよくぶつかったんですよ~」
続きは<中編>「夫と母の板ばさみで苦悩した日々」で。
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