とにかく2人の決意はもうかたまっていましたから、あとは最後の関門を何とかくぐりぬけるしかありません。「忙しい」なんて言ってられないと、連日連夜、徹夜に近い残業が続くなか、無理やり中国行きスケジュールをねじ込みます。「立ち上げの時を避けて行くとしたら……」と逆算して、割り出したのが1月と3月でした。
そして激務でヨレヨレになった身体で、氷点下十何度の北京に向かいます。
1月は「おつきあいをしているということだけを言いに行こう」という計画でした。お姉さんからの援護射撃で、Bさんが"同僚でとてもいい人"であるということは既に伝わっています。
さらにもう1つ、思わぬアピールポイントがありました。
「"運よく"というか、お義兄さんは中国語ができないんです。日本語と韓国語はペラペラなのに、中国語はニーハオしかしゃべれない。奥さん(彼女のお姉さん)とは英語で話しているけど、彼女のご両親は英語が話せない。だからお義兄さんとご両親には共通言語がないんですね。
その点、僕は少しとはいっても中国語が話せるんで、かなりポイントが高かったんですよ」
「そして『お父さん・お母さんのために、僕はもっと中国語を勉強して上手になります!』と言いました。それが関係をよくするカギかな、と思って」
う~ん、泣かせるセリフじゃあありませんか!
「もしも自分が父親だったら、娘と結婚する相手とは、直接、密なコミュニケーションをとりたいだろうと思うんですよね。だから、それを怠ったらいけないなと思っていました」
その思いは今も変わっていません。
「料理の話くらいならできるけど、難しい話はできないから、まだ不十分だろうとは思いますが、僕が上手になるのをご両親は本当に喜んでくれるんですよ。だからこちらも励みになる。今度いつ行くと決まったら、またやらなきゃと勉強にも身が入ります」
そして3月。今度はいよいよ結婚のお許しをいただきに行きます。