そば/そば関連情報

杉浦日向子さんが、逝った。 天上のそば屋で憩いを愉しんで

そばが好きというよりも、そば屋が好き、だったという。あまりにも若すぎるお別れ。でも、杉浦さんのスタイルは、確実に支持されています。

執筆者:井上 明


杉浦日向子さんが、逝った。

私の印象としては、ソバ食いというよりも、江戸の残照を丁寧に拾い集めて、一地方都市としての東京を、散歩者の視点で活写した逍遙人であった。



その遺作には、巷に溢れかえる既存のガイド本を孫引きしてでっちあげた、粗悪な東京ガイドとは暸かに一線を画して、いかにも慣れ親しんだ地元を足取り軽やかに案内してくれるかのような、軽妙洒脱なエッセイが多い。

ところで、逍遙の読点、すなわち散歩の休憩地点としてのソバ屋をガイド本として編成したのは、画期的な企画であった。名作「ソバ屋で憩う」「続・ソバ屋で憩う」は、そもそもごく狭い地域で認知されていた「Ourブーム」を人口に膾炙せしめ、全国区の歓びとして広めたのである。

JJこと植草甚一さんには、珈琲ショップ。荷風散人には、旨い物や。散歩の達人には、それぞれお似合いの「腰掛け」がある。そば屋は、杉浦日向子さんの最愛の腰掛けであったに相違ない。

そばが好きというよりも、そば屋が好き、だったという。手打ちの、石臼碾き自家製粉の、こだわりの国産原料のと、喧しい店主の「こだわり」をさらりと流して、人生の中継点としてのそば屋、その空間の美学を問う。

『そば屋なのだから、そこそこソバが旨いのは当たり前じゃないの、お店の都合で、素人をケムに巻くようなことをゴチャゴチャ仰有ってないで、気さくに立ち寄れて、居心地のいい店でいてくださいね…』

杉浦日向子さんは、人間がよく出来た方のように見受けられましたが、心の内裏では、こんなことをお考えになってらしたんではないかなぁ(文責=井上明の妄想です)。

街を歩いていて、ふと腰掛けたくなったら、そば屋に入って蕎麦前(お酒のこと)を愉しもう、というのは、実は当サイトの提案でもあります。で、実は、男女を問わず、そういった格好良い呑み方をなさる方が、少ぉしずつ増えてきているような気がするのです。

4月に築地布恒更科の取材にお邪魔したとき、二〇代と思しき女性が、昼下がりに純米酒をきこしめされたうえ、お上手にソバを手繰って席を立たれました。一閃の清涼な風が吹いたような、見事な所作でございました。

いずれ稿を改めますが、築地そばアカデミーで夜にお酒とおつまみと蕎麦を提供する臨時営業を行いましたところ、お一人でお見えになり、お酒とアテとお蕎麦を粋に注文なすって、好いお加減でお出かけになる女性がかなりの数いらっしゃいました。

そば屋で、昼から、酒を呑む。それは、決してちょっぴり寂しいお父さんたち専用の愉しみではなくて、老若男女を超越した東京のディープな歩き方なのだということを、さりげなく広めてくださったのは、杉浦日向子さん、貴女です。

どうぞ安らかに、天上の美酒を酌みながら、相も変わらぬ現世のそばを見下ろしてやってくださいまし。

もっとソバ屋で憩うきっと満足123店 杉浦日向子+ソバ好き連 著

杉浦日向子 文筆家(本名:鈴木順子)
2005年7月22日没 享年46歳


合掌
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
※メニューや料金などのデータは、取材時または記事公開時点での内容です。

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます