それでも、なくてはならない存在なのがスプーン。茶葉を量ったり、もちろん、紅茶にミルクや砂糖を加えるときなど、カップの中の紅茶をかき混ぜるときには欠かせません。
スプーン自体は、紅茶のわき役的存在だけど、素敵なスプーンは紅茶によりそって華を添えるし、スプーンを上手に使えるというのもおしゃれです。
紅茶には欠かせないスプーンについて、「紅茶とスプーン特集」を2回に分けて行います。第1回目は、”スプーンを知る”と題して、燕市産業史料館を訪ね、スプーンと金属加工の歴史をご紹介しましょう。
エナメル技法によって作られる美しいプリカジュール |
外国製品も多く輸入されるいま、価格競争やデザイン・技術競争が繰り広げられる厳しい環境ですが、追随を許さない日本一の金属洋食器産業に君臨する燕の技術や新たなる取り組みを知るために、子どもだけでなく大人も一緒に学んでみてはいかがでしょうか。
燕市産業史料館でスプーンの始まりと日本の食生活について学ぶ
燕の伝統的な金属加工について見て、触れることのできる燕市産業史料館 |
燕の昔を知ることのできる「本館」、江戸時代の建物にスプーン作りの作業場を復元した「工匠館」、昔の生活用具を展示した「生活用具館」、日本の金属洋食器の歴史や伊藤豊成氏のスプーンコレクションがある「新館」など。
子どもでも簡単にスプーンが作れる体験コーナー |
新館 スプーンのはじまり
佐波理製の匙(主に薬匙として使われたもの) |
3世紀末に記された『魏志倭人伝』には、木製の匙の使用は弥生時代に始まっていたと記録されているそうです。食事に用いられた匙は、むかし“かひ(かい)”と呼び、薬やお茶を量る“さじ”や水を汲む“杓子(しゃくし)”と区別したとのこと。
大正時代の手作りスプーン |
明治時代以降は、西洋文化が入り、食生活の洋風化とともにスプーンやフォークが使われるように。食の国際化は進むとともにそれらの国内需要が急増したようです。
世界のスプーン
ヨーロッパを中心に蒐集した伊藤豊成氏のスプーンコレクション。 |
燕の金属洋食器産業とは
江戸時代のはじめ、農家の副業として和釘(わくぎ)製造を開始。やすり、銅器、煙管(きせる)などで栄えます。しかし、明治維新以降、金属類についても“和”から“洋”へと転換がすすみ、和釘などは衰退していきました。その後、戦時中に外国から持ち込まれたスプーンやフォークなどを手本に製造に成功、金属洋食器への道が開かれました。スプーンやフォークは手造りから機械による生産が可能となり、生産量も増大、さらに品質も向上し輸出が盛んになりました。しかし、輸出の調整・制限や海外からの安価な製品が流入。現在、燕はチタンやマグネシウムなど新素材を生かした新たな取り組みや、新しい商品企画やデザインによって市場の開拓に乗り出しているようです。
【燕市産業史料館】
所在:新潟県燕市大曲4330-1
TEL:0256-63-7666
OPEN: 9:00~16:30(入館は16時まで)
休館日:月曜(祝休日の場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始
入館料:大人(高校生以上)300円、小人100円
■協力:燕市産業史料館
■関連リンク:燕市産業史料館ネットミュージアム