トワイニングと高価な茶
トワイニングの創業者トーマスの後、トーマスの息子ダニエル・トワイニング、ダニエルの後には妻のメアリーによってティーショップ「ゴールデン・ライオン」は順調に発展していきました。お茶を飲むということは国内に浸透していきつつありましたが、価格が極めて高いため、購入できるのは上流階級の人くらいでした。
茶業界へも貢献した4代目リチャード・トワイニング
リチャード・トワイニング氏(1749ー1824)肖像画。 |
リチャードはティーディーラーの会長として当時の首相ウィリアム・ピット(William Pitt)と数度にわたって茶税について意見を交換しました。リチャードは、茶税を撤廃し、取り扱い業者がこの歳入損失の埋め合わせ金を以後4年にわたり国庫に納入することを提案。これを受けて首相のピットは、1784年、減税法(The Commutation Act )を通過させ、茶税は119%から約10分の1となる12.5%に引き下げられました。減税法が施行される前と後でお茶の価格がどれくらい違うかトワイニング社の資料で見てみましょう。
1750年~1783年では
紅茶:ボヒー 5~8シリング(1ポンド当たり)
コングー 5~16シリング
減税法以後、
紅茶:ボヒー 1シリング 7ペンス
コングー 2シリング 5ペンス
(House of Twining p.45より)
(※ボヒーというのは最も品質が低いとされた紅茶、コングーは標準的な紅茶と考えられます。)
トーマス・トワイニングが開店させた「ゴールデン・ライオン」は、住所を表す番地制度ができてからは「216 ストランド」として親しまれてきました。 |
リチャードは茶への大幅な減税に貢献した1784年から3年後にショップ出入り口の新たなシンボルを設置、さらに、「TWINING’S」 から「’」を取り除き「TWININGS」という現在まで続くブランドネームを完成させたのです。このブランドネームは現在までも使用され続け、世界的にも最も古いと考えられる屋号のひとつといえるでしょう。
■協力・画像提供:片岡物産株式会社
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■関連記事:トワイニングのゴールデン・ライオン トワイニング社についての第1回目の記事。