そうじをしなくなったら、マンガも読みたくなくなった
そうじ中に手に持ったマンガがつい面白くて読んでしまうという行為の不可思議なところは、本来そうじをするという用事がなければ思う存分マンガが読めるはずなのに、そうじが終わってしまったら、さしてマンガを読みたいとも思わなくなったりすることです。なんとも面倒な話ですが、そういうことは度々あります。ポケモンの例に戻ると、ポケモン収集が面白いとして、じゃあ本編がなくポケモンを収集するだけのゲームは同じくらい面白いのでしょうか? それなりには面白いかもしれません、しかし、同じように夢中になれるかと言われれば、難しいような気がします。
本編をクリアするという目的があって、その目的のプロセスとしてポケモン収集が楽しいわけであって、だからこそ脱線という行為も成立しますし、やりこみという行為も成立します。しかし、最初から目的が無ければ、クリアを目指しているわけでもなく、脱線でもなく、やりこみでもなく、モチベーションが失われてしまいます。
GTAはそうじをしなくてもいいゲーム
海外にはGTAのように、プロセスを膨大につぎ込んだ箱庭的空間を用意して、プレイヤーに好きに遊んでもらうタイプのゲームが少なからずあります。 |
理由は過激な暴力表現など、いろいろと言われていますが、そのうちのひとつに、初めてプレイした人が何をしたらいいのか分からない、というものがあります。GTAのようなゲームに馴染まないユーザーが時々もらすことのある感想ですね。正確に表現するならば、何をしたら楽しいのか分からない、ということでしょう。
これはストーリーに縛られず、プレイヤーが自由に行動できるという、GTAの高い自由度と関係があると思われます。GTAにも本編はあります。しかし、この本編の存在は、ポケモンや多くの日本のRPGのように進めなければゲームが展開されないというようなものではありません。本編を進めてもいいし、いきなり街の中でタクシーの営業をしたり、車の収集をしたり、ギャング相手に闘争を始めたりすることもできます。
しかし、先ほどお話した通り、そうじをしていたからマンガが気になってつい読んでしまうという構造があるのであって、そもそもの目的が存在せず、さあ今日は何をやってもいい休日ですよ、といわれると何をしていいか分からなくなるかもしれません。それこそGTAのような海外のゲームで、あまり馴染みのない世界で、さあどうぞご自由にと放り出された日本のプレイヤーは、目的を見出せずに終わってしまうことがあるわけです。自由すぎて自由にできないとは、なんとも皮肉な話です。
しかし、GTAのように膨大なプロセスの海をプレイヤーが自由にダイブできるゲームの面白さというものも、また格別なものです。最後に、GTAのようにプロセスを遊ばせるゲームでありながら、要所に目的を盛り込んで遊びやすくしているゲームをご紹介したいと思います。