挑戦を経るなかで、己の力を高める
USオープン2007では1回戦敗退に終わったが、挑戦は続く |
1つは、ランキングを430位台に載せた2005年9月。米村はある改造に取り組む。当時の目標は220位前後の人と対等に渡り合うこと(220位とは4大大会の予選にギリギリ出場できるかどうかの位置)。そのために、現状のサーブ・リターンでは通用しない。たた入れるだけのサーブをなくし、セカンドサーブでもラケットをしっかり振る。相手のセカンドサーブではどんどん自分から攻撃を仕掛けていく。
「1大会は完全に捨てる覚悟でやり通したね。そしたら、ホントに変わったよ(笑)」と高田。
同年10月、440位で臨んだ牧の原2万5千ドルの大会で米村は準優勝。2人で初めて一緒に遠征に行き、1回戦負けした1年前の同大会とは正反対の結果に2人は挑戦した意味を知る。
もう1つは、2006年1月~4月のアメリカ遠征。全て予選負けという結果に終わったが、厳しい戦いになることは最初からわかっていた。2006年の目標は、ランキングを220位前後まで上げること。そのためには220位よりもっとレベルの高い選手の集まる場所で、展開の早さ、一つ一つのショットの厳しさになれておく必要があったのだ。
そして日本に戻ってから5月の福岡国際女子テニス。「もうやめようか?」と高田が米村に言ってからちょうど1年が経っていた。250位オブライアン(現在120位)に4-6、6-7(6)で敗退。セカンドセットはセットポイントもあった。高田は言う。
「このあたりの選手とどう戦えるかが課題で、はっきりと成長を感じた。年始のスケジュールはまさにそのため。負けはしたが、いい試合をした。このレベルのテニスには十分対応できている。2005年9月からトライしてきたサーブ、リターンも実を結んできた」
そして、USオープン初挑戦
今年2007年のUSオープン、初めて挑戦した4大大会予選1回戦。米村はコーチ高田と、どんなテニスをするべきか入念に作戦を立てていた。相手は100位台前半の選手で、予選シード選手でもある。だが、いい勝負ができる。勝利へのイメージは2人の中で出来ていた。結果は惨敗。スコアは0-6、1-6だった。
「緊張しました。驚くほど。試合前に自分の顔がひきつっているがわかったほどです。それでもコートに立てば緊張もなくなって、しっかりプレーができると思ったんですけど、最後まで緊張はとれませんでしたね」
と米村は悔しげに笑う。全豪とウィンブルドンは、あと少しというところでランキング足りずに試合に入れなかった。そしてやっと掴んだ今年の目標4大大会の予選。インタビューは予選が終わってから少し立っていたからだろうか。「とっても悔しかったですよ。でも次の目標に向けてまたチャレンジするだけ」とさばさば語る米村には未来しか見えていないようだった。
次に自分がやるべきことはわかっている
「愛ちゃんがでてるようなWTAツアーレベルの大会を早くチャンレンジしたい。そこでプレーして勝てるようになりたい」愛ちゃんとは、もちろん杉山愛のこと。押しも押されぬ日本のNo.1テニスプレーヤーだ。今年2007年、グランドスラム予選に出場という目標は達成できた。次にクリアするべきはグランドスラム予選を勝ち上がること。そのためにもツアーレベルの試合に慣れておく必要がある。米村はそのことをよく理解しているのだ。
いいテニス選手に共通していえることだが、米村もまた驚くほど前向き。過去にあったことをどう捉えるかで未来は大きく変わるのかもしれない。
取材協力
■米村明子
ティダ(TIDA)テニスアカデミー所属。1984年1月25日生まれの23歳。熊本県出身。6歳でテニスを始める。2004年4月にプロ転向。右利き/フォアー片手/バック両手。現在2007年8月20日現在世界ランキング221位。
■高田充
高田充。TIDA(ティダ)テニスアカデミー代表。1969年9月26日生まれの38歳。沖縄県出身。'00年'02年、全日本選手権ダブルスチャンピオン。'02年'03年'07年ではFedCup(日本代表女子)のコーチを務める。