テクノポップ/海外のテクノポップ

80'sディープ・スウェーデンの探検(2ページ目)

『Retronics』から辿る80年代スウェーデンのシンセポップ・シーン。Japan、ウルトラヴォックス、クラフトワークのメンバーがプロデュースを手がけたバンドに、New Musikの再来まで堪能してください。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

リチャード・バルビエリが後にプロデュース~Lustans Lakejer

A Place In The Sun
写真から見るにルックスもニューロマですが、タイトなドラムングとニューウェイヴなギターと結構アグレッシッヴです。Lustans Lakejerは後にVanity Fairに改名し、Japanのリチャード・バルビエリ(Richard Barbieri)が、日本でもリリースされたアルバム『A Place In The Sun(失われた絆)』(1983年)をプロデュースしています。かなり邦題をJapanっぽくしようと努力した形跡あり。しかし、このアルバムの後は、元の名前に戻したみたいです。

Ratata

イケメン(死語?)男子二人。この曲だけだと、どちらかと言うとスウェーデンの歌謡曲にシンセポップを取り入れた感じです。

Ratata

北欧で最初のテクノポップ・バンド~Twice A Man

Work On Yellow
東洋的旋律を奏でるまさにテクノポップなTwice A Manは、以前はCosmic Overdoseという名前で活動していました。唯一所有のアルバム『Work On Yellow』(1986年)のバイグラフィーには、Cosmic Overdoseは北欧での最初の「テクノポップ」バンドという記載が有ります。

Twice A Man

Excellent Accident

とってもHeaven 17なバンド。

Samedi

風貌からもニューロマな3人組ですが、情報求む。

ポウシュと読むPage

Real Close
1980年から2000年まで活動していた「ポウシュ」と発音するPageです。当初は、Eddie BengtssonとMarina Schiptjenko(シンセ担当)の男女ペア(このコンピの収録曲も二人による)でしたが、96年以降は男性3人組に。日本でのスウェーデッシュポップのブームで注目されたのか、1998年に『Real Close』と『So What?』(本国では1996年)を日本でリリースしています。この時期にはかなりポップになっており、スウェーデンのXTCなんていう表現もされています。僕のテクノポップ仲間もファンでした。Pageが所属するEnergy Recordsは、初期のSPOCK、Elegant Machineryなどを有する重要レーベルです。

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