テクノポップを命名したのは?
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MODERN MUSIC |
さて、テクノポップという呼称ですが、誰が使い始めたのか? YMOの坂本龍一説とか諸説入り混じるのですが、関西発・伝説のカルト雑誌、「ロックマガジン」編集長の阿木譲説を個人的には押したいと思います。阿木譲は昔歌謡曲界で活動し(67年に「高原の慕情」でデビューし、68年に同名映画主題歌の「俺には天使の君だった」がヒット)、フォークシンガーを経て、75年~76年にかけて近畿放送(現KBS京都)で「ファズ・ボックス・イン」(当時、マニアックなロック系選曲をする貴重な情報源となっていて、先生もよく聴いていました)でラジオDJとして知られるようになり、76年2月に「ロックマガジン」を創刊しました。「ロックマガジン」でテクノポップの呼称が使われ始めたのは78年で、多分YMOのファースト・アルバムのリリース時期(78年11月)よりも早かったと思われます。後にYMOがテクノポップの牽引者となるわけですが、デビュー時期にはまだテクノポップの呼称は彼らに向けられたものではなかったはず。79年8月の「ロックマガジン」の増刊号の「MODERN MUSIC」にてクラフトワークを以下のように紹介しています。
クラフトワークは、マン・マシーン(人間人形)、電子パンク、テクノポップの代表“Kraut Rock Minimalist”と称される、電子時代のネオン・サインやプラスチックと最も融合する、今のディスコ・ミュージックと言われる音の核とも言うべきグループ。ロック・ポップのムーヴメントの中で、今までフォロワー的な立場でしか居なかった日本のアーティストが、テクノポップにおいては先駆者とまでは言えないまでも、牽引者になったわけです。そして、この日本で生まれたと思われるテクノポップという呼称は、世界へ広がっていきます。
テクノポップが出てくる曲は?
さて、テクノポップが題名または歌詞に出てくる曲を古いものから紹介しましょう。
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Clean, Clean(裏ジャケ) |
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Clean, Clean(表ジャケ) |
前述のトレヴァー・ホーンはテクノポップ史において、アーティストおよびプロデューサーとして最重要人物と考えます。彼が在籍したバグルズ(The Buggles)のシングル『Clean, Clean』(1980年)のB面には、「Technopop」という曲が収められています。テクノポップなアレンジですが、意外とサックスが幅を利かせています。
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The Age Of Plastic |
「Technopop」は未来コンセプトが散りばめられたアルバム『The Age Of Plastic(プラスティックの中の未来)』(オリジナル:1980年)のボーナス・トラックとして収録されていますが、さらに知りたい方は・・・
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ラジオスターの悲劇~日本大会⇒
ラジオスターの悲劇~世界大会1⇒
ラジオスターの悲劇~世界大会2 |
Electric Cafe |
クラフトワークは、86年の『Electric Cafe』にて「Techno Pop」という曲を収録していますが、元々は83年に『Techno Pop』というタイトルでアルバムがリリースされるはずだったのです。また、昨年発表がなされながらも、延期となったオリジナル・アルバムのリマスター盤発売では、『Techno Pop』というタイトルになるという情報もあります。
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Complete Susan |
日本では、テクノポップと言えば、YMO。YMOなら「Technopolis」はありますが、高橋幸宏がプロデュースしたスーザンの「モダンワールド」歌詞にも出てきます。
♪My Mickey Mouse watch plays Techno-pop・・・ 作詞は、クリス・モスデルですね。アルバム『Complete Susan』にも収録されていますが、詳しくはインタヴュー記事を読んでください・・・
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ガーリーテクノ歌姫~スーザン |
Friend Or Foe? |
細野晴臣はAlfa内の\ENレーベルに続いて、テイチク内に設けたNon Standardで活動し、インテリアの野中英紀らとF.O.E.(Friends Of Earth)を1985年に結成。アルバム『Friend Or Foe?』(オリジナル:1985年)には、「World Famous Techno Pop」とい曲が収録されていますが、テクノポップというよりもエレクトロファンク! 教授のからんだ曲にはなさそうですね、「テクノポップ」(「テクノ」だけは除外)が出てくるのは。
第1回ではテクノポップの起源を辿ってみましたが、テクノポップに関する皆様からの質問にも答えていきたいと思いますので、感想メールで質問を募集中です。