テクノポップ/アーティストインタヴュー

ガーリーテクノ歌姫~スーザン(5ページ目)

YMO全盛時代、高橋幸宏氏プロデュースでデビューしたマジック・ヴォイスの歌姫、スーザンさんに再発CD『コンプリート・スーザン』の発売を記念して直撃インタヴュー!

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

早すぎたガーリー

――続くセカンド・アルバム『恋せよおとめ』(1981年)も高橋幸宏さんのプロデュースでほぼ同じ布陣で固められていますね。このアルバムは、ガーリーという言葉、その当時は誰も使っていなかったと思いますが、とても似合うアルバムだと思います。ある意味で時代の先を行っていたと。スーザンさんとしては、自分で何かイメージしていたものはあったのでしょうか?

やっぱり、徐々に確立されてきたのではないでしょうか。幸宏さんに出会った頃に言われたのですが、「スーザンは何色にもなれて、色がない。少しは色がつくよ」という言葉を覚えているんです。2枚目に関しては色がつくようになったのかしら。ヴォーカルのバランスもちょっと上げてもらいたいと。2枚目のアルバムの後に出したシングルは、うーん、やりすぎって感じで今聴くと恥ずかしい。どんどん、そうなっていると思いますよ。これは、10年ぐらい引きずりました。

――「Tokyo Sue」はブライアン・フェリーの「Tokyo Joe」へのアンサー・ソングのように聴こえます。「I Only Come Out At Night」はヨーロッパでもシングル・カットされていますね。シングル・カットのされた「恋せよおとめ c/w Training」(1981年)ですが、「A子はB夫とCしてgood-bye D子ときたら E・F・G・H」って細野さんっておちゃめな歌詞を書くなーと。

あれは、細野さんがしまっていたのを出してくれたのです。でもね、あれ、ライヴとかで歌った時に難しいの。聴き取れないのですよ歌詞が・・・(で、歌っていただく)今の宇多田ヒカルさんのようにアハ、イヒを発音していたんですよ。

当時を振り返る

――1981年の3月13日にツバキハウスでライヴをされていますね。これ以外にライヴはされたのでしょうか?

ツバキハウスでは多分2回。渋谷パルコの壁画、1か月位私の絵だったからその前でEXといっしょにやりました。インクスティックをかわきりにひとりぼっちの全国ツアーもしたんです。横浜の氷川丸という船でもやりました、ロケットの川嶋と浅田さんと。

それから、大村さんが参加した最初のライヴでインタヴューされたのを覚えています。インタヴュアーに「みんな、大村さんを見に来ているんだけど、それで君はいいの?」って聞かれて・・・私は「はぁ~」って感じで。でも、大村さん応援してくれたんですよね。

――でも、その頃、スーザンさんのファンは多かったと思いますけどね。多かったというのは、当時分からなかったですが、インターネットをやるようになってからスーザンさんが好きな人が結構いる事が分かったんです。

ありがとうございます。当時、そんなに出ていませんでしたから、かえって好きでいてくれたのかも。

――1981年9月22日の坂本龍一さんのサウンドストリートにもゲスト出演されていますね。聴いた覚えはあるんですが・・・

あまり、覚えていませんね(笑)。スネークマン・ショーみたいなので、幸宏さんとかと架空の人として出たのは覚えていますね。

――1982年に、シングルのみで『サマルカンド大通り』をリリースされていますが、これはサンヨーのCMソングに使われたのですかね。

これはCM先行だったと思います。でも、CFには出ていないですね。

――ちょっとブランクがあったようですが、ワーナー・パイオニアにレーベル移籍して、1984年に『シャボン・ドール c/w 恋はダンス』をリリース。こちらはかしぶち哲郎さん(B面は岡田徹さんが編曲)によるフレンチ・アンニュイな曲ですね。

これも本当はCM先行だったんですが、ぽしゃったんです。サンディーに差し替えになったのです。
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