レコーディングの手法
――アルバムのレコーディングは、スーザンさんが70年代にされていた手法とはかなり違ったのですか?70年代の頃、レコーディングは一発どりでした。多くても2テイク。YMOの人達に出会う前に、路線に迷っていたんです。歌がうまいと言われている人はいたけど・・・ああなりたいという目標にはならなかったんです。原因不明で声も出なくなって2年間ぐらい歌えなかったし。いろいろあったから。幸宏さんに出会ったおかげで、ヘタウマでやれて楽しかった。こんな風に歌っていいんだなーと・・・楽しみました。
――スーザンさんの声ってすごく特徴があって、声にキャラクターがありますよね。その辺が良いと思われた理由ではないかと。
そう思いますね。ずっと、それでスタジオで仕事が出来ましたから。ただ、ヴォーカリストとして歌いこなすとか思いを入れるとかという点では物足りなかった。70年代にきちっとフルコーラスを歌い上げることに慣れていましたから、微妙でしたね。今は、あれで良かったんだと思えるんですが。
レコーディング自体は全然違う物でした。身をゆだねるというか、プロデュースされるというのも初めての経験でしたから。そういうスタイルはまだ日本では初めてぐらいだったんじゃないかな。プロデュースする、される、というのは。
――プロデュースに関してはどのように指示があったのですか?
幸宏さんと大村さんからすごい細かくありました。私が色々歌って、「これはちょっと怖い」とか「これが好き・嫌い」とか。いっぱいレコードを聴かされて、その中から自分でチョイスしたんです。
――という事は、モチーフとなったサウンドがあったんですね?
女性で言えば、ニナ・ハーゲンとかリーナ・ラビッチとか。結構、リーナ・ラビッチは好きだったかな。
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CFに出ていました。川崎さんにとってもらったんです。その時、モヒカン刈りという話が出たの。でも、出来ませんでした(笑)。今なら、したかも。それにしてもモダン・ワールドはかっこいい。今聴くとあのころよりも大好き。