――4曲入りミニアルバム『Do Do Do』(1985年)を経て、メンバーが福原まりさんと二人になってセカンド『2001年の恋人達』、やはり音楽性の違いが大きかったのでしょうか? ここまで、テクノポップ的なものとネオアコ的なものが交互にサイクルのようになっている気がします。

なるほどね。自分では気が付かなかったですけどね。僕の気分もあるだろうし、バンドとしては、バンドのカラーを考えてやった結果ですね。

――それが、リスナーとしては、ある意味、トニー・マンスフィールド的で、嬉しかったりもしたのですが。トニー・マンスフィールドは、お好きですか?

好きですよ。ニュー・ミュージック、「k」で終わるやつ(New Musik)は、大好きです。あれは、何故再評価されないんですかね。80年代テクノが、再ブームになったりしているわりに、New Musikは知られていないよね。あれは、聴いた方がいいですよ、若い人は。どうして、クラフトワークばっかり再評価されるんでしょうね。

Real Fishとしても活動

――Shi-Shonenと平行してやっていた水族館レーベルのバンド、リアル・フィッシュとして3枚のアルバム、『天国一の大きなバンド』(1984年)、『テナン』(1985年)、『4 - The World Was Young』(1987年)をリリースされていますが、リアル・フィッシュは誰の影響力が強かったのですか?

矢口(博康)が人間的にまとめて、僕が音楽的にまとめて、(福原)まりが曲を書いて、渡辺(等)君がちゃちゃを入れて、美尾(洋乃)さんがふらふらしてた・・・(笑)。

――シングルでも出た『ジャンクビート東京』(1987年)は、同じビクター系のサザンの桑田さんがゲスト・ヴォーカルですが、これだけ、かなりリアル・フィッシュ・サウンドとしては、異色のエレクトロ・ラップですね。

あれは、僕のわがままですよね。今でも、日本で一番のラッパーだと思うんですけど、いとうせいこう君の「東京ブロンクス」があまりに衝撃的で、リアル・フィッシュの『4』が出来てもう一枚シングルを出そう、もうリアル・フィッシュも最後かなという時期に作ったんです。

――桑田さんは、あの曲が気に入って、欲しいと言われたらしいですね。

「サザンにくれー」って・・・あげればよかったよね(笑)。