ちなみに、こちらは、牧瀬里穂のデビューに先駆けて10月2日にリリースされたマセキ里穂のシングル『世界で一番素敵な奇跡』です。「ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン」から生まれた一発企画物であるにも関わらず、オリコン初登場12位と大健闘。ロングヘアーがマセキでショートヘアーが里穂。
ウンナンの所属事務所である「マセキ芸能」と「牧瀬里穂」を合体させたパロディーです。1990年には「伊集院光のオールナイトニッポン」から架空アイドル芳賀ゆいが生まれているので、その延長線上とも言える出しょう。ナイアガラ風アイドル歌謡に乗せて、「つぐみ」や「東京上空」などの牧瀬里穂キーワードをちりばめてパロディーに徹しながらも楽曲としてのクオリティーは高いです。
1992年5月にリリースされたシングル『ささげたい、あなたに…』。女優ポップスはデビュー時ではヒットしても、その勢いを保つのが課題です。上田知華が作詞・作曲したこの曲、「Miracle Love」の路線上にあるマラカスが効果的な曲なんですが、オリコン4位と課題をクリア。
1993年6月の『涙のパラシュート』からは、作詞・作曲陣は秋元康=後藤次利コンビに代わっています。悪い曲じゃないんですが、牧瀬里穂に合っていない。とても苦しそう。この辺で、歌手・牧瀬里穂として大きな壁に直面してきました。
1993年9月にはファースト・アルバム『P.S. RIHO』をリリース。小室哲哉が2曲提供していますが、TMNサウンド直系の「キャンセルされたプライバシー」(編曲:久保こーじ)はぜひ聴いてみて下さい。「こんな歌、牧瀬里穂に歌わせてどうするの?」という出来です。同じく小室哲哉が提供した沢口靖子のシングル『Follow Me』(1988年)に匹敵するものがあります。天は二物を与えず。
1993年11月には、アルバム発売に合わせて周囲の不安をよそに(あくまでも僕の推測)「P.S. RIHO」ツアーを敢行。こちらは、ツアーの模様を収録したビデオ『P.S. RIHO』。
デビューから3枚のシングルのビデオ・クリップを収録した『OPENING BELL』(1993年)。ここで注目は、「Miracle Love」のプロモ・ヴィデオです。おおよそ楽曲には似つかわしくないアヴァンギャルドな「ピエロ星人」のような格好で歌う牧瀬里穂。いくら可愛い牧瀬でも、あまりいっしょに歩きたくない。でも、それは牧瀬のせいではないんだけど。
1993年11月には同じ秋元康=後藤次利コンビでシングル『遅いサンタクロース』をクリスマス・シングルとしてリリース。
1年以上のブランクの後リリースされたラスト・シングル『誰にも明日はやって来る』。こうして聴いてみると、3曲目以降の全てのシングルでは、「Miracle Love」の奇跡は再現されなかったと言えます。それは、彼女の歌唱力の限界もあるのでしょうが、それ以上にそこそこの歌唱力でも十分聴かせる楽曲に恵まれなかった。嗚呼、儚くも哀しき女優ポップス也!
読んでみてお気づきの方も多いでしょうが、今回の記事はテクノポップとはほとんど関係ありません。「女優ポップス」という免罪符にてお許しのほどを。
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