――ギャグ的なものでは、日本では「ゲバゲバ90分」とかですか?

――それは、風刺がないとか言う意味で?
いじめギャグの始まりみたいなもんですよね。そういうのに嫌悪感があって、そっちには近づかないようにしてましたね。
――やっぱり、『増殖』でスネークマン・ショーを聴き始めた人達が多いわけですが、もともとYMOの人達とはお知り合いだったのですか?

うーん、妙なスノッブな集まりだったんですねきっと。それと伊武ちゃんはバリバリの演劇青年だったし、克也さんは業界の大先輩という、それぞれの立場が明快にあったからこそ、普段つるんでなんかというのではなく、お互いに切磋琢磨し合うというのがよかったのかな。
――YMOサイドからいっしょにしようと、働きかけがあったのですか?
細野さんが声をかけてくれたんだと思います。ごめんなさい。もしかした違うかも…。その昔、細野さんの存在をトノバンから教えてもらっていて、「Rolling Stone」の頃に、お話を聞かせていただいたり、先ずそうしたことがベースにあるんですね。で、スネークマン・ショーのテープをどんどん送っていたから。そういえば細野さんと幸宏は、この前、『ごきげんいかが1・2・3』のカヴァーをSketch Showでやったんですよ。

もともと、細野さんって、そいいうのが好きなんですよ。なんかで読んだんですけど、大瀧さんなんかとツアーで旅館に行ったりすると、一番バカな事をするのは、どうやら細野さんだったらしいですよ。
で、教授が一番、遠かったかなぁ。今となっては失礼な話なんですが、ともかく女好きだと思っていましたからね(笑)。確かパンクファッションのアイテム(?)、ショッキングピンクのネクタイプレゼントした思い出や、夜遊びした記憶しかないから…(笑)。ところがひょんなことから教授のMLグループsuspeaceのメンバーに入れて頂いたことで、その認識は180度変わりました。今や教授は私の本当の教授です(笑)。尊敬してますから…。