桑原茂一さんインタヴュー~Part 1『ウルフマン・ジャックに憧れて』からの続き。

――最初のスネークマン・ショーは、アメリカ的な背景があるんですけど、ラジオではなくて『増殖』から入ったリスナーにとって、スネークマン・ショーは、どちらかと言えば、アメリカというよりもイギリスというか、パンクの後のような気がするんですが。スネークマン・ショーは、やはりアメリカ的なものから変わっていったというのがあるんでしょうか?

もともとは、アメリカの50年代の音楽、ドゥー・ワップ・ミュージック。自分が16歳くらいからR&B、今のR&Bではなくって、R&Bにすごく入っていって、とにかく新しい曲を聴きたくて、新しいステップを覚えたくて夜遊びしてたんです。だから僕にはブラック・ミュージックの方がディープなんです。その後、ロックが始まって「Rolling Stone」に参加し…。で、その後の衝撃はやっぱりパンクですよね。一時番組休止中のたしか75年くらいだったと思うんですが、サンフランシスコの友人の所に遊びにいった時も、その兆しはあったんですが。

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なんといっても77年ですね。六本木のディスコ「FUFU」のオープンニング・イヴェントの企画で四方義朗から声がかかり、熱くなってたSex Pistols(写真は、『勝手にしやがれ!!』)を呼びたくなって、友達がロンドンに居て、行ったんですよ。呼べるわけもないのに。Pistols駄目なら、Stranglersでもいいんじゃないかとか、もう当時パンクモードに入っていて自分でも分け分かんなくなってましたね。ともかくオープニングにパンクを連れて来たかったんです(笑)。

――それで、実際にPistolsとかMalcolm McLarenには会えなかったのですか?

全然、話になんない。だから、その後に、実際にポートベローのホテルでMalcolmに会った時、彼が契約書をそのへんのナプキンに書くから(笑)とか、そういうことができるようになるとは、その時はぜんぜん思わなかったからね。日本ではまだまだでしたけど、ロンドンの街はパンク一色だったですね。そのパンクの凄い経験があったから、スネークマン・ショーを結果的にがらっと変えていっちゃうんですね。ロンドンから持って帰った曲をかけたくってしょうがない訳ですからね。勢いというか。それで、表現がどんどん破壊的な方向に向かうんです。

今までの、ばかばかしいおかしさというのは、チーチ&チョン(写真は、『Up In Smoke』)だったりとか、アメリカのヒッピー・カルチャーの人達の笑いに影響を受けてると思うんですね。克也さん自身は、英語が堪能だから分かるんですけど、自分にはそんなに分かんないんですね。分かるものもあるけど、分からないものもある。日本人には、ニュアンスとして伝わらないと、言葉ではギャグにならないんですね。自分としては、その後のサタデー・ナイト・ライヴの方向に向かう、チャビー・チェイス・ショーであったり、個人的にはウディ・アレンとかがものすごく好きだったりするし。

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また亡くなった景山民夫さんの影響から、モンティ・パイソンなんかも見る機会に恵まれましたが、やっぱり、英語圏のものですので、ちゃんと本当に分かるというかというと、かなり怪しくて。最近、『モンティ・パイソン大全』を作った須田泰成君なんかとも脚本チームでやっているんですが、彼の本なんかを読ましてもらうと、「ああこういうことだったのか!」という連続で。これは相当、勘違いのまま来てるなと。