ポストMIDI時代のジャズの行方
MIDIがもたらした音楽観の変革は、それまで数千年にわたって根付いてきた音楽の持つ神秘性を揺るがした。楽譜が普及しても、演奏家がそこに存在しなければ音楽を聴くことができなかった19世紀。レコードが普及しても生演奏そのものはしっかりと神秘性のベールを帯びていた20世紀。
しかし20世紀末、MIDIが登場したことによって、音楽演奏が持っていた神秘性は今まさに、危機に瀕しているのではないだろうか。
近年はDTMも非常に安価で楽しめる。PCさえあれば、写真のE-MU0404 Second Editionなどは何と9,800円である。(写真がAll About「DTM・デジタルレコーディング」記事にリンク。 |
こういった時代において、ジャズミュージシャンは自らの立ち位置をどう定めてきたのだろうか。
例えばこうしたMIDI的な音楽観を受け入れるなら、音韻情報的に同じような和声やフレージングを繰り返すわけにはいかなくなる(と考える人間が登場する)。畢竟、「バークリー病」などと揶揄されるような代理コードの嵐や、オルタードスケールを詰め込んだようなフレージングを重ねる結果となる(もちろん、中にはすばらしいものもあるけれど)。この方向性はアマチュアジャズミュージシャンによく見られるし、プロでもこういった方向性を続ける人もいまだ少なくないが、2006年現在で見る限り、この方向性は限界を迎えているといっていいだろう。何せ、そんなことだったらそれこそシンセサイザーに自動演奏させるのが一番早いのだから。
逆に、MIDIに欠落している音響情報に活路を見いだす者もいる。今、若い世代のジャズファンに人気なのも、この方向性だろう。菊地成孔らのように、ありとあらゆる音響情報の化学反応を楽しむグループもあれば、キース・ジャレットのように、ピアノという楽器が持つ音響の可能性を追求するジャズメンもいる。
小曽根真『WIZARD OF OZONE~小曽根真ベスト・セレクション』 90年代以降、安定した人気を誇るジャズピアニスト・コンポーザーである小曽根真。その演奏・作曲に気負いはない。 |
MIDIの誕生は技術革新ではあるが、それが音楽に与えた影響はミュージシャン・リスナーにまたがる音楽観の変容を中心としたものだったと僕は考えている。あたかも音韻情報のみによって、音楽が構築されるかのような錯覚・妄想。誕生から約20年を経て、ジャズシーンはようやく、MIDIの衝撃を受容し、新しい一歩を踏み出そうとしているのかもしれない。
ジャズ鑑賞のWhere & How
その1 Jazz meets iPod!
その2 CDとLPの共存共栄?
その3 ライブ体験は「一期一会」
その4 ジャズライブハウスの未来