実は普段あまり購入しない筋書きを、記念に1部買う。その中で新・勘三郎は父の芸についてこんなふうに語っている。
「父の芸には”魔法の粉”をお客さんに撒いちゃうような。そんな芝居はとてもじゃないがまだ僕にはできません」
いや、既に勘九郎も子役の時代から、その”魔法の粉”の持ち主である片鱗をうかがわせていたと思う。テレビなどに登場する勘九郎の芝居は、すでに筆者自身の子供心にも強く残るような説得力のあるものだった。
新・勘三郎の魅力は、とにかく人を惹き付ける、ということだと思う。そんなの当然じゃないか、良い役者っていうのはそういうものだ。だがその「良い」のありようが、役者によって微妙に違う。ジャンルは関係なく。
●「私にだけ」の気分
遠くから高嶺の花を仰ぎ見るようにうっとりさせる役者がいる。
その人生の姿勢のようなものに共感し、一緒に前に進んでゆきたい!と思わせてくれる役者がいる。
一瞬一瞬の洗練された芸に、ジーンとさせてくれるタイプの役者がいる。
「なるほど、そうきましたか!」と新しい世界観を提示してくれるタイプの役者がいる。
そして勘三郎の場合は、
「彼は、私に向かって芝居してくれている」
「彼は、他の誰でもない、私に語りかけている」
「私にだけ、特別に楽しいことを見せてくれている」・・・・と、思わせてくれる役者だと思う。おそらく観客一人一人が同様に感じてうれしい想いをさせてもらっているのではないだろうか。
例えば大竹しのぶも、その「私にだけ!」「こっちみててくれてる」な喜びを感じさせてくれる一人だ。唐十郎あたりだと、「こっちみててくれてる」どころか、目が合うと「こっち向かって走ってきそう」だし、それが客にとってはうれしかったりする。「媚びる」というのではもちろんない。勘九郎はそういう意味で稀有な存在だ。
お弁当にも「祝」の文字が躍る |
その2へ続く。