歌舞伎の楽しみ方は、人によりさまざまだが、歌舞伎のドラマ性以外にも注目してほしいのが、歌舞伎役者たちの演技です。さあ、そんな奥深い演技の世界を少し覗いてみましょう。さらに後半では、初心者にもオススメ!フレッシュな役者たちが活躍する舞台をご紹介します。
●役者が変われば「ステキ」の中身が変わる!
かつてどこかで、中村勘九郎さんが言っていました。
「(歌舞伎は)1回じゃだめだ。せめて10回観てほしい」
ほんとにそう思います。10回観ると、ストーリーはもちろん、その役者の個性にも、目がいき届くようになるから、楽しさは倍増します。
「吉右衛門の弁慶が素敵だった!」、
「鳴神上人はやっぱり團十郎で観たい!」とか。
10回を過ぎるころには、自分なりに役者についてのビューポイントを持ち始めることができるはず。そうなるともう歌舞伎は楽勝なんですね。
また、その早道は、ひとつの演目をいろいろな役者で観てみること。そのためには、簡潔でシンプルで、でも味のある演目がふさわしいでしょう。
そこで、ズバリおすすめなのは『勧進帳(かんじんちょう)』。
この演目は、弁慶と義経という日本の文芸史上最強の二人組が登場することでもよく知られますし、おそらく歌舞伎座など歌舞伎を上演する劇場のどこかで、年に1度はかかる有名な演目です。
源義経は兄・頼朝の不信を買い、京から奥州へと逃げる最中。弁慶
ら家来とともに、山伏の姿をして山岳ルートをひたすら逃げてきま
した。ですが、安宅の関で富樫という関守に見咎められます。弁慶
は知略を尽くして必死で義経を守ります。
この弁慶は、歌舞伎の役の中でも最も大変で重要な役のひとつ。演
じる役者が変わると当然ながらいろいろな弁慶が生まれるわけです。
「ある役者が演じれば、度量の広い、読みの深い、実に頼りになる
男、という弁慶像が創られる。富樫との激しい問答のやりとりの最
中の、ちょっとした間や、表情、さらに最後の花道での引っ込みの
ときの仲間を思いやる視線や富樫への感謝の念のあらわし方・・・
そんなところに、この弁慶という男の情の深さや、義経を思う心が
ほのみえる。」
「また別の役者が、演じれば、知恵もあるけどユーモラスで人間臭い
弁慶に。富樫にすすめられた酒に、心から感謝し、気分よく酔い、
機嫌よく舞いまで披露する。酔っ払ったように見えて、もちろん義
経をその間に先に逃がすことも忘れない。だけど本人、敵前にいる
という状況なのに、踊ることが楽しくてしょうがないといった風情
が楽しい。」
同じお芝居で同じ設定、同じせりふ、同じ所作なのはもちろんのこ
と。なのに、役者によって想像させるものが違ってくるのが不思議
ですよね。役者の間の取り方の微妙な差、せりふ回し、声や肉体・
・・。そんなものが要因なのかもしれません。もちろん観る側の心
理状態によることもあるでしょう。
また、同じ役者でも、役が変わるとこれまた見所が変わることも。
『勧進帳』なら、いつも弁慶を演じる役者が富樫を、ということも
よくあることです。またその役者の別の魅力が見えてくるんです。
そしていろいろな役者がいろいろな役を演じることで、またそれ
らの違いを味わうことで、『勧進帳』の持つ世界がいっそう奥深く
なります。
特に『勧進帳』は「またかの関」(勧進帳の舞台となる”安宅=ア
タカ=の関”にひっかけている)といわれるほど比較的上演頻度の
高いものなので一番のおすすめです。また主要な役柄が、義経、弁
慶、富樫の3人で、どの役もキャラクターがはっきりしているため
、見比べやすいとも思います。
さてさてこうやって、見比べられるようになってくると歌舞伎は俄
然面白くなるはず。そしてそれは意外に難しいことではないように
思えます。たった一つの正解があるわけではなく、観た人が個々に
その「違い」を感じれば、それが正解ということだと思うからです。
恥ずかしながら筆者も実はそうだったんですね。観るたびに少しず
つ役者の名前と顔を覚え、演目を覚え、次第に役柄と役者がリンク
してくると、同じ演目を何度も観る楽しさが分かってきました。そ
うなるとますます歌舞伎の面白さがとっても底知れないものだと気
がついて・・・つまり、気がつくとコロっとハマってしまっており
ました。
さあ、歌舞伎の楽しみ方、味わい方がなん
となく分かってきたような気がしませんか?次のページでは、初心者
でも歌舞伎の面白さが味わえるおすすめの公演情報をご紹介します。フレッシュな役者たち勢ぞろいです。