文章:五十川 晶子(All About「歌舞伎」旧ガイド)
2003年7月4日に早稲田大学小野講堂で、市川染五郎さんの演劇講座が開かれた。題して「傾奇おどり概論(かぶきおどり)」。
実はこの「授業」への参加は一般公募もされたため、入場するにはかなりの高倍率となった。学生やファンに混じって舞踊の人々と思われる、和装の年配の女性たちも少なくなく、大学の教室としては異例な雰囲気となった。
「今日のこの講演は、早稲田の政経に入るより大変な倍率だったはず」「最近、早稲田、評判悪いので、これでちょっと回復して」という染五郎さんと講師の鈴木英一氏との開口で対談は楽しくスタートした。
市川染五郎、本名藤間照薫(てるまさ)。もちろん歌舞伎役者。日本舞踊松本流3代目の家元でもある。最近染五郎の活躍は実に目覚しい。現代劇や歌舞伎を題材とした新作などでの父・松本幸四郎との共演も注目されるが、劇団★新感線への出演「阿修羅城の瞳」「アテルイ」でも大活躍だ。
彼のもう一つの表現者としての姿が舞踊家。舞踊名を松本錦升(きんしょう)。今まで創作舞踊を数々世に送り出している。いずれも、鈴木英一氏との共同作品だ。鈴木氏は、今回の講演の聞き手であり、早稲田大学21世紀COEプログラム演劇博物研究センター講師、また常磐津の演者(常磐津和英太夫)で舞踊の作家でもある。
4月に京都南座で再演された「魑魅魍魎的」から遡り、「暑夏譚」、「仇花火」「夢真溶解恐楽譚」など。NHK衛星第二「ジャパネスクな男たち」で放送された作品もあるので、ご存知の方も多いだろう。
--創作舞踊への情熱の秘密。
「日本舞踊の危機的状況が原因」だと言い切る。一般の人への接点が極端に少なく、見る機会も実際にやってみる機会も少ない。見ても分からない。さらに入門制なので入ると出にくい。発表会などにお金も時間もかかる。
「だけどやってみたい、見てみたいと思っている人が気軽に触れられる機会があれば、わかりやすいものを上演すれば、何か変わってくると思うんですね」
「わかりやすいもの」とはどんな舞踊なのか。
歌舞伎は、特に義太夫狂言など、複雑なドラマで構成された演目は、「難しい」といわれることが多い。だが、しっかり構成されたストーリーだからこそ、分かりやすい一面もある。
一方舞踊は歌舞伎初心者ならずとも、ストーリーが見えにくい分、なかなか辛いものがある。染五郎さんは「わかりにくいけど面白い」というものなら、現代に成立するのでなないかと強調する。
「今日のあの料理、とろけそうだったね。おいしかったね。という場合もあるでしょうけど、今日のアレ、すっげーかってえ(固い)。でも盛り上がる。そういうのはアリではないかと」。再演された「魑魅魍魎的」にもそんな思いが充満しているそうだ。
ただ創作の現場にはまだまだ「難解な」問題が転がっているらしい。作の鈴木氏は「染五郎語録」なるものの難しさを”暴露”。
「よく染五郎さんが言っていた、”フレンドパーク”ってなんですか? ほらお弟子さん達は”はい”って言ってなかなか師匠に聞けないじゃないですか。だから僕が代表して聞くというパターンが多かったのですが」。「ああ、あれはですね」と詳細に解説した染五郎さん(だが、聞いている方はそれでもまだよく分からなかった。それがまた場内の爆笑を呼んでいたが)。
また鈴木氏に「意味の通らないものを作ってほしい」という要望も出たとか。言語表現だけで意味が通るのではなく、身体表現と合わせてその演者のキャラクターが出るようなものを、という意図があるという。
創作舞踊の振付はもちろん染五郎さんがするのだが、「伝承=パクリ」と捉え(!)「堂々たるパクリで作ります。どこかの国の律○体操も参考になるし、テツ&トモの振りも本人の許可得て(?)借りました(笑)」。もう場内大爆笑である。
ここでしばし脱線。
鈴木氏とは見世物小屋見物もたびたび出かけ、基本的に妖怪は大好きとのこと。妖怪シリーズの根付も集めているのだそうだ。中でも作品にも登場した「豆腐小僧」。何をするでもなく、豆腐を一丁買って持っているだけ。これを肴に酒飲もうとするだけの妖怪。
「どうせ妖怪なら、豆腐もっと買えよ! もっとすごいことしろよ!って思うんですが、この妖怪だけはほのぼのしてるんですね」。
そんなこんなで盛り上がった「授業」なのだが、染五郎さんの創作舞踊にかける思いは真摯なのである。
「松本流の三代目として、プロの振付師を養成したい。舞踊劇を確立したい。そしてプロの舞踊集団を作りたい」と断言する。
--なぜ古典ではなくて創作舞踊なのか。
「祖父や父の使っていた衣装を身につけることがあるのですが、ゾクゾクしますね。鏡台も七代目幸四郎のものですが、それに顔をした自分を映すかと思うと鳥肌が立つ」と、伝統の世界に身を置くその喜びにも触れつつ、
「今生きている自分が形にできるものは、どんどん出していきたい。伝統の魅力を自分の体をいったん通して、そこから出てきた新しいものを作りたい」と語る。その創る過程をまた、伝統を演じる者としての”栄養”にもしていきたいという。