ショーメ》《ヴァン クリーフ&アーペル》《モーブッサン》《カルティエ》など、そうそうたるジュエラーにぐるりと取り囲まれたプラース・ヴァンドーム。ここは、フランスにおける宝飾文化の中心地ともいえる場所。広場の中心には、ナポレオンが建てた凱旋記念柱がそびえ、ジュエラーたちのブティックを見下ろしています。

第2帝政期の1858年、パレ・ロワイヤルにて創業した《ブシュロン》は、“小さな美術品”と呼びたくなるような凝った細工のジュエリーを次々と作り、たちまち上流社会の圧倒的な支持を集めました。ヨーロッパ各国の王侯貴族だけでなく、インドのマハラジャやアラブのシャーたちも、その顧客名簿に名を連ねたのです。

プラース・ヴァンドームの北側に位置するブシュロン本店。冷やかしではとても入れません。

ここプラース・ヴァンドーム26番地、カスティリオーネ伯爵夫人の館に本店が移されたのは、1893年のこと。ブシュロン本店は、今もその当時の姿をとどめています。

シャンデリアの下がった地階(日本でいう1階)の広間には、時計、ジュエリー、香水やアイ・ウェアをディスプレイ。その周囲にあるいくつかの個室では、お忍びでやって来たVIPたちが、新しいドレスに合わせる宝石を選ぶこともあるのでしょう。

自然光が豊かに入る、地階の広間。ほとんどインクルージョンのないすばらしいエメラルドなど、逸品中の逸品がさりげなく飾られていたりします。
Photo: Courtesy of Boucheron, Paris

地階には、有名な“サロン・ド・シノワ(中国の間)”と呼ばれる個室も。全体を赤漆や螺鈿で飾ったこの部屋は、当時のフランス人の中国趣味がよく表れています。また、日本でいう2階にあたる1階は“アルシヴ(資料室)”になっていて、これまで作成したジュエリーの写真やデッサンがここに保管されているのでした。

書架から「1928年」と書かれた作品帳を出して開いてみると、エジプト風、アール・デコ風のジュエリーのデッサンがずらり。その頃、1923年にツタンカーメンの王墓が発掘されたため、ヨーロッパではエジプト・ブームが起きていたのです。またアール・デコは、ご存じのように、1925年にパリで開催された「現代装飾産業美術国際博覧会」がきっかけとなって流行したムーブメントのこと。このアルシヴには、変遷する装飾文化の歴史が、そのまま記録されているのです。

漆と金彩で飾られた、地階のサロン・ド・シノワ。秘密めいた感じのする、ごく小さな部屋です。
Photo: Courtesy of Boucheron, Paris