芸術的なイタリア男の表現力とは?
小さな頃から自分の感情を素直に表現するように教育されている(というか、感情を無理やり抑えることを覚えさせられない)イタリア人は、感情の出し方がとても上手で、見ていても面白いし飽きません。泣いたり怒ったり、はしゃいだり。忙しそうですが、感情をためないからか、なんだかとっても楽しそう。隣にいても、わかりやすくて楽です。
愛情の表現に関しても態度的にも好きと嫌いがはっきりしていて、こちらのスタンスも決めやすくて楽チン。下心満点のときは、そう顔に書いてあるし、真剣に思いを告げようとしているときは、それなりに伝わるから。「何考えてるかわからん。」ということは、滅多にありません。
言葉での表現もたいしたもので、相手がどういうつもりであるにせよ、聞くだけでも価値があるといった趣。日焼けした私に「太陽にキスをされた僕のジェルソミーナ(白いジャスミンの花)」と書き出したメールを送ってみたり、手を握りながら「まるで陶器のような肌だね。これは僕のもの?」とわざとらしく驚いて見せたり。いちいち日本語訳してると臭さ満点でバカバカしいですが、その豊かな表現力には毎度毎度驚かされます。
美しい芸術品に囲まれ、常に感性が磨かれるうらやましい環境にあるから、その表現力も自然と磨かれるのか、常日頃から自分の感情に素直なだけに、その表現力もこなされていくのか。
素晴らしい映画を見ては、ここに感動した、このシーンがよかったとひとつひとつ心を動かされたところを解説したり、青く澄み渡った空を見て、気持ちいい! 生きててよかった!と感激したり。それはもう、うるさいくらい。そんな風に自由な心で感じたいように感じて、それを自由に表現していくうち、表現力も身についていくんでしょう。
彼らにとっても最も大切な愛情表現にかけては、日ごろ鍛え上げた表現力を駆使して、詩的でオリジナリティのある言葉をツラツラと並べてくるわけです。
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