ニューヨーク/ニューヨークの観光・エンターテインメント

イマジンの魂を受け継ぐジョンゆかりのNY(2ページ目)

ビートルズのジョン・レノンが凶弾に倒れた72丁目ダコタハウスからセントラルパークへ入ると、そこにはイマジンの碑がある。

執筆者:溝口 弘恵

ダコタハウスの由来

ダコタハウス
入口の門には電気のランプ代わりか、火ついてるランプが荘厳。
ジョンとヨーコの住まいであったダコタハウス。セントラルパークの南東入口にあるプラザ・ホテルと同じくヘンリー・ハーデンバーグが設計し、1880-1884年にかけて建築された。当時は、この豪勢なヨーロピアンスタイルのアパートメントだけが不毛の土地に君臨。その地域は、まるでダコタ(西部の僻地で田舎だった)のようだということから、ダコタハウスと称されるようになったとか。どちらも趣きある建物なので、ぜひNYへ来たなら見ておくべき所だ。

ダコタハウスは、ロマン・ポランスキー監督の映画「ローズマリーの赤ちゃん」を撮影されたことでも有名。最近の映画では、「バニラスカイ」で主演トム・クルーズの住まいがここだった。ダコタハウスは入居の審査が厳しく、人気のアーティストたちでも入居を拒否されたということで話題にのぼる。

人間の命ははかないが、音楽は永遠

ストロベリーフィールズにある平和を祈る青銅のプレート
平和のためにストロベリーフィールズを推薦した121カ国が綴られている。
1980年12月8日ジョン40歳の時に、72丁目沿いダコタハウスの玄関にて、ある狂信的なファンによって命を絶たれた。彼からのサインを「断った」せいで、そもそも精神的に病んでいた男に殺されたという説もあれば、「断っていない」という説もある。政治的に疎ましかったジョンを抹殺するためにある組織から男が洗脳されたなどという話もあったりと、ジョンが殺害されたことに関しては謎が多い。が、どちらにしても結果的に、これからも世の中に意義のある素晴らしい音楽を残していくはずであった、天才的な人物の生命が若くして、一人のファンによって絶たれたということは残念なことである。

しかし彼の残した音楽は、絶たれることなく世代を超えて、平和の象徴として世界の人々に愛されている。音楽は抹殺されることがない。

ジョンを想うためか、ビートルズを愛する人たちか、この辺りには、多くの人たちがやってくる。ジョンが作った曲イマジンを歌いながら歩いてる人がたくさんいる。私もいつの間にか、イマジンを歌っていた。

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