【移住の決意】
このとき、現在の同居人、YさんとNさんはすでに沖縄に移住していました。私も何度か遊びに行っていたんですね。それぞれが地元に友達を作り楽しそうでした。
だけど、その生活ぶりを見ても最初はピンと来なかった。あまりにものんびりとしていてイライラするんです。ゆったりとした時間の流れが、私にとっては苦痛でした。
仕事をほったらかして何時間もゆんたく(おしゃべり)するなんて「なんという時間の無駄遣い!」としか考えられなかったんですねぇ~。
移住を勧められても、なかなか「YES」と言えません。しかも、生活基盤の元となる仕事が沖縄にはないんですよ。それに、フリーになった人間が、今更どこかに勤めるなんて、ヤなこった!ですもんね。
そうやって、相変わらず仕事を続けていたある日のこと。夜中、突然胸が痛くなり、身動きできなくなりました。
同居人がいるとはいえ、当時の私は「人に助けを求める=人の貴重な時間を奪う=人に借りを作る」ことですから、声を出さずに耐えました。
ものごとはギブ&テイク。ギブだけ、テイクだけというのは、私の自尊心が許さない。「何をするにも自己責任」これが私の生き方でした。
「このまま死ぬかも知れないなぁ~」
割と冷静に考えつつ、痛みがどれだけ続くかを時計で測っていたんですね。30分ほどでした。心筋梗塞ならば30分で痛みは消えません。狭心症ならば、そんなに長い時間続きません。
あとで判明したのですが、精神的なストレスから来る神経性の心臓発作でした。
このままではダメだ。思い切って生活を変えるしかない。
昼も夜もない生活をいつまでも続けながら年を取ることを想像したら、自分がすごく惨めになったんです。
都会の小さなアパートには、そうやって老いつつある人たちがけっこう住んでいます。私の娘は港区のアパートに住んでいるのですが、そこにも50歳くらいの婦人が1人で住んでいます。
林立するビル街の裏にある古いアパートに、ひっそりと、人付き合いもなく住み続けるというのはどんな気持ちなのでしょう。
だいたい都会とは、働く人間のための街であって、老いた人間を養う余裕はないのです。しかも、毎年のように次々と新しい人材(若者)がやってきますから、人間の新陳代謝が早い。まだまだ活躍できる人たちの行き場がどんどん奪われています。
自分の将来像を描けない街にしがみつくなんて愚かではないか。思い切って別の生き方を探すべきではないか。今ならば再スタートできるかもしれない。そう思いました。
えーいとばかりに、取引先の方々に「しばらく沖縄滞在」を宣言し、当面の仕事のやり方を打ち合わせた上で、車にパソコンと衣類を積み込んでの移住と相成りました。
実は、イザという時に逃げられるよう、余分な荷物を持って行かなかっただけのことです。いまだに、大半の荷物を本土においたままです。いえね、沖縄に馴染んじゃうと、今度は本土に戻るのが億劫なんですよ、ほんと言うと…。