善光寺のご本尊は、
日本最古の仏像である

こちらのご本尊は絶対の秘仏で、7年に一度あるご開帳(次回は2009年)でも、お前立ち(ご本尊そっくりに造られたレプリカ)しか拝むことができないのです。が、この仏様の由来は、本当にすごいですよ。何しろ、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像と言われているのです。

百済から日本に仏教が伝えられたころの事情については、こちらをごらんください。

そのころの日本では、仏教を受け入れるかどうかの論争があり、この仏像は、仏教を取り入れることに反対する物部氏によって難波の堀江に捨てられました。後に、信濃国司の従者として都に上った本田善光が、この仏像を信濃の国へ持ってきてお堂を建立。その人物の名を取って「善光寺」と名付けられました。

仏教反対派の物部氏に関するお話は、こちらもごらんください。
本堂は、創建以来11回も焼け、そのつど建てなおされた。現在の建物は江戸時代のもの
ということで、この寺は、京都よりもはるかに古い歴史を持っています。日本の仏教が宗派に分かれて行ったのは、平安時代のはじめに、最澄が天台宗を、空海が真言宗を伝えて以降のこと。宗派というものが成立する以前に創建された寺であるため、善光寺は、特定の宗派に属していないのです。現在は天台宗と浄土宗の法要を行っていても、天台宗の本山、比叡山延暦寺や浄土宗の本山、知恩院よりも、ずっとずっと古いってことなんだなぁ。

牛に引かれて善光寺参り

山門にかかっている扁額。よく見ると、「善」の字が牛の顔に見える
そのようなすごいご由緒にもかかわらず、善光寺には格式ばったところはなく、一般庶民が極楽往生を願ってお参りできるため、たいへん人気がありました。また、女性にも慈悲をかけてくださる仏様としても知られていました。
(何度も言うようですが、昔の仏教では、女性を救いがたいものとして排斥する傾向がありました)

有名な「牛に引かれて善光寺参り」という言葉には、こんな逸話があります。

昔々、信濃の国に心が貧しいおばあさんがいました。ある日、軒下に布を干していると、どこからか牛が一頭やってきて、その角に布を引っかけて走り去ってしまいました。おばあさんは腹を立ててその牛を追いかけていきましたが、なかなか追いつきません。善光寺の金堂前まで来たところで、牛は消えてしまいました。

境内の一隅で発見した牛の親子像。母牛は善子さん、子牛は光子さん。とある乳業メーカーが奉納した
おばあさんはいきなり信心深くなり、その夜一晩善光寺如来様の前で念仏を称えながら夜を明かしました。その後、たまたま近くの観音堂にお参りしたところ、あの布がお観音さんの足下にありました。あの牛はこの観音菩薩様の化身であったのだと気づき、おばあさんは、ますます信心深くなって、極楽往生を遂げたということです。

この言葉は、一般的には、「思いがけないことや、自分の意思でないことで、たまたま導かれてよい結果につながる」という意味で使われます。ならばさしずめわたしは「蕎麦に引かれて善光寺参り」ってところでしょうか。

次のページは、蕎麦だけではない、善光寺参道のグルメのお話。「うまいものに引かれて善光寺参り」でもいいじゃない。結果がよければね。