人に歴史があるように
江の島にも歴史の変遷がある

夏の鎌倉、海岸通り。今のわたしにとっては、お参りロード
今では寺と神社めぐりを趣味兼仕事にしているわたしですが、以前の趣味はスキューバ&スキンダイビング。今からほんの2~3年ほど前の20代のころのわたしは、梅雨も末期になると気もそぞろで、心は海へ海へと向かっていました。湘南ビーチはサザンを流して散々ドライブしたし、伊豆にもハワイにも。何しろ世界の七つの海を制覇するのが目標だったのです。

しかし、驚くことに、今のわたしにとっては、湘南と言えば鎌倉の寺めぐり、江の島と言ったら弁天様にお参り。目標は、日本の寺全制覇と仏教伝来の道を辿って最後にインドに行くことです。人に歴史ありとはこういうことを言うのでしょう。

人に歴史があるのと同じように、鎌倉や江の島にも栄枯盛衰の歴史があります。

江戸の庶民にとっては
お参り=行楽だった

江の島の江島神社には、寺のような門もある。今は神社だが、江戸時代までは、やはり、神仏混淆だったのだろう
まずは超簡単に、鎌倉の歴史から見て行きましょう。もともとは単なる漁村だった鎌倉に、ある時、いきなり幕府が置かれ、寺もたくさんできました。しかし、その後忘れ去られ、もとの漁村に戻ります。

江戸時代の中期以降、庶民が経済力をつけてくるにしたがい、人々は、かつて歴史の舞台であった鎌倉を観光のため訪れるようになります。江戸の庶民の皆さんは教養深く、戦記物などの本をよく読んでいたし、義経など、歴史上のスターにゆかりの深い土地だったからです。要するに、今のわたしたちが京都や奈良に出かけるのと似たようなものです。

江戸の庶民が旅をするもう一つのモチベーションに「お参り」があります。と言っても、とりわけ彼らが信心深かったというわけではなく、お参りに行くということにすれば、わりあい自由に旅ができたという理由もあります。中でも有名なのは、やじきた道中でもお馴染みのお伊勢参り。つまり江戸の庶民にとっては、お参り=物見遊山、つまり、よい景色を見たり各地の美味しいモノを食べたりする、お楽しみいっぱいの行楽だったわけです。

江の島と鎌倉は
富士山詣でのお帰りに

こちらの浮世絵には、江の島と富士山が描かれている
江戸時代の人々にとっては、登山もお参りの一種でした。山に神仏が宿るとする山岳信仰は奈良時代以来連綿と続いており、その中でも、やはり富士山がもっとも霊験あらたかな山とされました。江戸の人々もツアーを組んで登りに出かけ、その帰り道に、景勝地として名高い江の島や、中世の歴史遺産である鎌倉にも観光に行きました。

また、神奈川には富士山より手近な大山という霊山もあり、これもまた大人気。現在の国道246(青山通り)は大山詣でのための道でもあり、三軒茶屋には、大山に向かう人々が休むための茶店が三軒あったのです。その大山からも江の島、鎌倉は近いですね。

次のページでは、神社としての江の島を歩き、海辺の美女たちにお会いします。そのうちひとりは、何とヌードだっ!