仏教は日本に土着して
独特の形に変化した

美しい日本庭園も、仏教が生み出した文化である(京都 妙蓮寺にて撮影)
前のページで述べた「葬式仏教」は、ある面では形骸化した現在の日本の仏教に対する悪口であり、的確にその性質を表現してもいます。が、その一方で、日本人の生活や物の考え方には仏教的な要素が根強く残っていますし、伝来以来の長い歴史の中で変化していったからこそ、独特の優れた文化を作り出したとも言えるのです。

仏教が作り出した文化は数え切れないほどあります。洗練された寺院建築、多種多様な仏像、世界的にも評価の高い日本庭園、日本人の美意識の結晶である茶道とその周辺の文化など、枚挙にいとまがありません。また、江戸時代以降、一般民の間に仏教が浸透して寺が一種のレジャーセンターの役割もになうようになり、縁日の見世物や門前の団子屋と言った楽しい庶民文化も生まれました。

が、それらはほとんどが、お釈迦様が生み出したもともとの仏教とは似ても似つきません。そもそもお釈迦様は、「この世は苦ばかり。現実的な欲を捨てて解脱せよ」と解いたはずなのに、日本においては、商売繁盛、縁結びなど、実に現実的なご利益があるとされる仏様やお寺もたくさんあります。日本仏教は、どのような歴史を経て、こんなに多様で、ある面では何でもありなフトコロの深い宗教に変化したのでしょう。

はじめに神道という
独自の宗教があった

物部氏の本拠地であった奈良の石上神宮。今も古代の雰囲気を保っている
皆様ご存知のように、日本には、仏教伝来以前から神道という独自の宗教がありました。これは、自然界に存在するもののすべてに神が宿るとする「何でもあり」で寛容な宗教です。そのため、外来の異文化である仏教も、わりあい簡単に受け入れることができたと思われます。

6世紀のはじめごろ仏教が伝来し、次第に国の中心的な宗教となっていったのですが、そうなるには、さすがに多少の軋轢がありました。当時、神道の祭祀を牛耳っていたのは豪族の物部氏で、仏教を積極的に取り入れようという立場の蘇我氏と対立。蘇我氏の血を引く廐戸皇子(後の聖徳太子)も参加して戦い、物部氏は滅ぼされます。

その後聖徳太子はたくさんの寺を建て、仏教が政治と学問の中心として広まって行きました。

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