世界遺産/アジアの世界遺産

クラック・デ・シュバリエ/シリア(3ページ目)

高原の頂にたたずむ可憐な城、クラック・デ・シュバリエ。アラビアのロレンスが「世界でもっともすばらしい城」と評し、『天空の城ラピュタ』のモデルという噂もあるこの城と、カラット・サラディンをご案内する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

十字軍国家の誕生とキャッスル・ベルト

クラック・デ・シュバリエの見張り台から

周囲を睥睨するクラック・デ・シュバリエの見張り台からの眺め。内部の石組みにも隙間はなく、堅固であるのがよくわかる ©牧哲雄

第1回十字軍の進軍の途中、現在のトルコ、シリア、レバノン、イスラエル周辺に数々の十字軍国家が誕生した。特にエデッサ伯国、アンティオキア公国、エルサレム王国、トリポリ伯国の聖地四国は、隣接するイスラム教国との間、特に見晴らしのいい山頂に城を築き、防衛線を張った。これがキャッスル・ベルトだ。

クラック・デ・シュバリエはもともと1030年代にイスラム教徒によって造られた砦だったが、第1回十字軍の進軍中に落とされてトリポリ伯国のものとなり、1144年にホスピタル騎士団に移管された。このあと守備塔が加えられ、分厚い城壁が設置され、城内には広大な貯蔵庫が用意されて、数年間の包囲にも耐えられるよう整備された。

カラット・サラディンはクラック・デ・シュバリエよりも歴史が古く、10世紀にビザンツ帝国が砦として建造したものがもとになっている。やがてクラック・デ・シュバリエとともにキャッスル・ベルトの一端を担う城、サユーン城砦として整備された。

英雄サラディンとエルサレム奪還

クラック・デ・シュバリエの見張り台から

クラック・デ・シュバリエの反対側からの眺め。地平線の彼方まで見渡すことができる ©牧哲雄

そんなとき、現在でも「英雄」と崇められるクルド人、サラディン(サラーフッディーン、サラーフ=アッディーン)が登場する。

現在のレバノン周辺で小さな領主をしていた父のもとに生まれ、アレッポのヌールッディーンの地方官となる。ヌールッディーンがダマスカスを落とすとサラディンは要職を担うようになる。

エジプト遠征に参加したのち、次々と宰相が死に、人材不足に陥ったファーティマ朝によってサラディンは宰相に任命される。サラディンはこの職を望まなかったが、穏やかな彼の人柄を見てファーティマ朝のカリフ(最高指導者)は、彼ならコントロールできると考えたようだ。こうして1169年、サラディンの名字をとったアイユーブ朝が誕生する。

スンニ派のヌールッディーンは部下のサラディンに対し、ファーティマ朝の廃絶を要求するが、義を重んじるサラディンはのらりくらりとこれをかわす。こうして難しい立場に立ったサラディンだが、1171年にファーティマ朝のカリフが亡くなり、自然とファーティマ朝が消滅。ヌールッディーンも1174年に病没する。

立場を固めたサラディンは援軍の要請を受けていよいよ西アジアに進出。1187年、ついにエルサレム奪還に成功する。第1回十字軍が掠奪と虐殺を繰り返したのに対し、サラディンは自国へ帰還するなら捕虜をすべて解放し、財産の持ち出しを認め、貧困者や子供には贈り物まで持たせた。城攻めの最中に結婚式があればその場所への攻撃を中止するなど、サラディンの英雄譚は数多く、敵味方に愛されたという。
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