アウシュヴィッツで世界遺産の良心に触れる
美しい建築物や偉大な自然を守ろうという活動はいつの時代にもあった。世界遺産という活動がこれまでのものと大きく違うのは、美しくも偉大でもない「負の遺産」を登録しているところだ。そういう意味で、負の遺産にはとても大切な世界遺産のメッセージが込められている。今回は広島の原爆ドームと並ぶ負の遺産の代表格「アウシュヴィッツビルケナウ、ナチスドイツの強制絶滅収容所 [1940-1945]」をご案内しよう。
強制収容所と『アンネの日記』
第二収容所ビルケナウの死の門。ユダヤ人たちを乗せた列車はこの門を通って中に入り、収容された。その多くが二度とこの門を出ることはなかったという
ユダヤ人たちはゲットーと呼ばれる隔離された居住地に押し込められ、ユダヤの星を服につけることを義務づけられた。40年代に入るとナチスは強制収容所を作り、ユダヤ人やロマ(ジプシー)、戦争捕虜などを次々と送り込んだ。
アムステルダムのアンネ・フランクの家。本棚の裏に秘密の通路があり、その奥に一家が住んでいた
不便な生活ながらも、恋や家族関係に心を悩ます生き生きとした生活が描かれているのだが、日記は1944年8月1日の日付で突然終わっている。フランク一家は密告によって発見され、全員が強制収容所へ送られた。アンネと姉マルゴーはアウシュヴィッツに送られたあと、ベルゲン・ベルゼン強制収容所に移送されたのち亡くなったという。