アウシュヴィッツへの移送から絶滅まで

第一収容所正門。アーチには「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)とある。「B」の文字が反対になっており、囚人たちのせめてもの抵抗だったといわれる ©牧哲雄

第一収容所アウシュヴィッツ正門。アーチには「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)とある。「B」の文字が反対になっており、囚人たちのせめてもの抵抗だったといわれる ©牧哲雄

第一収容所の鉄条網と収容棟。鉄条網には常時高圧電流が流されており、感電自殺する者も少なくなかった ©牧哲雄

第一収容所アウシュヴィッツの鉄条網と収容棟。鉄条網には常時高圧電流が流されており、感電自殺する者も少なくなかった ©牧哲雄

ユダヤ人たちも、実際収容所でどんな仕打ちが待っているのかは知らなかった。とにかく移住をいい渡され、収容所の駅までの切符を買い、全財産をバッグに詰めて列車に乗った。アウシュヴィッツ第二収容所=ビルケナウには当事の駅がそのまま残っている。到着すると人々はすべての財産を奪われて、健康かどうかで選別されたうえ、働けそうもないと判断されるとそのままガス室へ送られた。

収容所内に入ると、囚人服に着替え、髪を剃られ、複数の人間にひとつのベッドが割り当てられた。ベッドが一杯になると四角い穴にウナギのように詰め込まれた。食事は腐った野菜を煮て作ったほとんど具のないスープで、夕食にはパンがつくこともあった。

 

第一収容所のガス室入り口。地下にあるガス室で殺され、遺体は同じ建物内にある焼却炉で焼かれた

第一収容所アウシュヴィッツのガス室入り口。地下にあるガス室で殺され、遺体は同じ建物内にある焼却炉で焼かれた

囚人たちは毎日10時間の労働に従事した。逆らう者は鞭打ちをはじめとする罰が待っており、脱走を企てると連帯責任として同室の者全員が処分されることもあった。銃殺、絞首刑、餓死刑などの処刑が行われたが、やがて大量殺戮が可能なガス室が使われ出したという。

アウシュヴィッツでは残虐な逸話に事欠かない。囚人に様々な薬剤を投与したり、子供を生ませて解剖したりといった人体実験。美しい少女の皮でランプ・シェードを作ったり、死者の脂肪から石鹸を作り、囚人の髪でベッドや布を作るといった人体産業。最終的に、アウシュヴィッツでは十数万~百数十万もの人間が殺されたといわれている。