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パリ郊外に藤田嗣治のアトリエを訪ねて(3ページ目)

エコール・ド・パリの画壇でピカソやモジリアーニらと共にもてはやされ、日本人初のパリの画家として迎え入れられた藤田嗣治のアトリエを求めパリ郊外をさまよい、ようやくたどり着いた屋根裏部屋で見たものとは?

執筆者:赤木 滋生

アトリエ探訪


指差された入口の門扉には1928年に開かれた藤田の個展のポスターをモチーフにした案内が。
世界的にも有名な藤田嗣治の晩年のアトリエは、思ったよりシンプルで小さな建物だった。狭い玄関ドアは固く閉ざされ、ドアの上に飾られたしゃれたレリーフ以外画家のアトリエを思わせるものは何もない、典型的なイル・ド・フランスの農家だった。

すべて型ガラスの中に混ざって、1枚だけはめ込まれた素通しのガラスを通して中をのぞいてみると、偶然にも訪問者受け入れの準備をしている女性の係員らしき人と目が合ってしまった。微笑んだ彼女はアトリエの奥にある門の方を指で指し示し、あちらから入れと合図してくれた。

なるほどアトリエはそのまま塀に続き、その先に小さな門と開かれた鉄の門扉があった。門扉にはFoujita、1928の数字と、あまりにも有名なおかっぱ頭は帽子に隠れて見えないが、例の丸ブチ眼鏡と奇抜なスタイルに身を包んだ藤田嗣治のポスターや見学案内が貼り付けられていた。

門を抜けると南側はすぐに急な斜面が落ち込んでおり、うっそうと茂った林はまさに一幅の巨大な風景画。さらにその先にある壁一面の蔦の葉もつややかな別棟で音声ガイドとヘッドセットを受け取ればいよいよアトリエの中に入れることとなった。

今年は藤田嗣治生誕120年ということだ。日本でも各地で展覧会が開かれ、いずれも大そうな活況を呈しているそうだが、彼は82歳まで生きているため、まだ歿後40年にも満たない。そこでその作品はすべて著作権で保護されており、壁の落書き一つ無断で公開するわけにはいかないとのこと、写真の撮影は固く禁じますと釘をさされた。
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