フランス/フランス関連情報

パリ郊外に藤田嗣治のアトリエを訪ねて(2ページ目)

エコール・ド・パリの画壇でピカソやモジリアーニらと共にもてはやされ、日本人初のパリの画家として迎え入れられた藤田嗣治のアトリエを求めパリ郊外をさまよい、ようやくたどり着いた屋根裏部屋で見たものとは?

執筆者:赤木 滋生

アトリエ発見!


人気の無い役場には選挙のポスターと広報。横に町の地図があるが、はてFoujitaの名前は目に付かない。ほとんど使う人もいないように見える電話ボックスにもLeonard Foujitaの手がかりはない。
とりあえず駅員さんならこのあたりに詳しいだろうと思い、駅舎に入ってLeonard Foujitaのアトリエはどこにあるのか聞いてみたが、藤田自体を知らなかった。そんなものかと、今度はヴィリエ・ル・バクルの場所を聞いてみたが、なんとそこも知らないと言う。他の駅員さんも皆知らないどころか、たまたま通りかかったお巡りさんまで知らなかった。あれれ?

こうなれば仕方がないと、配達中の魚屋のおにいさんや、駅から降りてくる人々に片っ端から尋ねてみたが、やはり誰も知らない。その中の一人が、私は研究所を訪ねて来ただけで地元民じゃないから分からない。今駅から出てくる人はたいていそうだよ。それよりそこにあるレストランで尋ねて見れば、と至極もっともな忠告をしてくれたので、それもそうだと思い向きを変えたときだった。
「ヴィリエ・ル・バクルを見つけたよ!」声をかけてくれたのは先ほどの魚屋のおにいさんだった。彼は親切にもわざわざ商売道具のフランス版ゼンリン住宅地図のようなでっかい地図で調べてくれたのだった。

教えてもらった藤田嗣治のこぢんまりしたアトリエは、以前の持ち主のイニシアルだろうか、大きなSの字が印象的なイル・ド・フランスの農家風。
彼の指し示す場所は先ほど通過したN118のインターから降りて最初に突当るロータリー、サクレ(Saclay)のロータリーから目と鼻の先だった。ヴィリエ・ル・バクルはジフよりずっとパリ寄りだったわけだ。かなりな距離を戻った挙句教えられたサクレのロータリーをぐるりと回ってみれば、なるほど標識にはちゃんとVilliers-le Bacleと書かれていた。

標識に従い小さな村の中に入ってゆけば広場の前で役場(Mairie)を見つけるのに時間はかからなかった。しかしながら役場はもぬけの殻、やれやれ、距離に反して藤田のアトリエは遠いもんだな、と思いながら村の案内図が描かれた掲示板を眺めていると、今度は犬の散歩中のご夫人に声をかけられた。
「何をお探しですか、ムッシュ?」
「レオナール・フジタのアトリエがこの町にあると聞いたもので出かけてきたんですが。」と言うと、にっこり笑って即座に、
「ほら、あの壁にSって書いてある小さな家がそうですよ。」と教えてくれた。ははーん、この手の日本人はきっと多いんだろうなと納得しつつ、ていねいにお礼を述べた。ほっ、やっとアトリエが発見できた。
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