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クレオパトラや楊貴妃など、絶世美女たちの髪型……美髪キープ法!

絶世の美女と言えば、クレオパトラ、楊貴妃、マリー・アントワネット。その時代のファッションリーダーでもあった彼女たちが、どんな髪型・ヘアスタイルをし、どのようにして美髪を保っていたかをご紹介します。私たちも美髪をキープしましょう!

執筆者:All About 編集部

クレオパトラや楊貴妃など、絶世美女たちの髪型

クレオパトラや楊貴妃の髪型

クレオパトラや楊貴妃など、絶世美女たちの髪型

世界史の教科書に登場するおなじみの美女と言えば、クレオパトラ、楊貴妃、マリー・アントワネット。「絶世の美女」「傾国の美女」などと呼ばれた彼女たちの行動や業績については、授業で習ったことと思います。今回の記事では、その時代のファッションリーダーでもあった彼女たちが、一体どんなヘアスタイルをしていたか。そして、どのようにしてその美髪を保っていたかをご紹介します。
 
<目次>
 

クレオパトラはカラーリングやパーマをしていた!?

クレオパトラ
古代エジプトのファッションリーダーだったクレオパトラ(『クレオパトラ』20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント/DVD
クレオパトラは紀元前50年に古代エジプトの王位を継承し、女王となった人物。ローマ帝国のシーザー(カエサル)の愛人としても有名です。派手なファッションで目立ち、マラカイトを粉にしてアイシャドーとしてお化粧していました。アイシャドーを初めて使ったのはクレオパトラで、エジプトやローマに流行させた、とも言われています。古代エジプトのファッションリーダーだったのかもしれません。

また、クレオパトラは、お風呂に対するこだわりが人一倍強かったようです。「バラ風呂」「ミルク風呂」「ジャスミン風呂」「泥風呂」「塩風呂」などなど、その日の気分に合わせて使い分けていたとか。現代で言えば、入浴剤マニアというところですね。オリーブオイルで全身のお手入れをしていたそうなので、ひょっとすると髪にもつけていたかもしれませんね。

さらには、ヘナを髪につけてカラーリングをし(黒髪を金髪にした、金髪を黒くしたとの両方の説があります)、棒に髪を巻いてアルカリ性の粘土をつけて乾かし、パーマをかけた、とも言われています。おしゃれのためには手間ひまを惜しまない──そんな女性像が浮かんできます。

一般的に、クレオパトラのヘアスタイルは黒髪でストレートのワンレングス、というエジプト風の印象があります。しかし、あのヘアスタイルは人毛で作ったカツラ、という説もあるようです。

ギリシャ人の流れを汲むクレオパトラの髪は、ショートヘアで、しかも巻き毛だったとか。エジプト・アレクサンドリアにある「グレコローマン博物館」には、クレオパトラの胸像がありますが、ギリシャ風の髪型をしています。

とはいえ、黒髪も巻き毛も想像で描かれたものなので、本当のところは神秘のベールに包まれています。
 

温泉で髪を洗っていた、楊貴妃

楊貴妃
漆黒の髪で描かれることが多い楊貴妃(『楊貴妃』夢枕 獏 著, 天野 喜孝 イラスト・エンターブレイン/単行本
楊貴妃は今から1300年前の人物で、唐(当時の中国)の玄宗皇帝の息子の妻でした。ところがあまりに美しかったため、その後、父である玄宗皇帝の寵愛を受けるようになり、皇后に次ぐ高位の貴妃となりました。以来、玄宗皇帝は毎年秋から翌年春まで、楊貴妃とともに温泉地である華清池に「華清宮」を建て、そこで過ごしました。

クレオパトラ同様、楊貴妃もお風呂が好きだったようです。華清宮には、玄宗と楊貴妃のために蓮花湯と海棠湯という浴室がありました。楊貴妃は入浴後に、自然の風で髪を乾かしたそうです。楊貴妃は髪を洗って、ブローまでしていた、というわけです。

その髪の美しさは、玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌った漢詩「長恨歌」の中で、「雲鬢花顏金歩搖(=やわらかな髪、花のような顔、歩みにつれて金のかんざしが揺れる)」と、表現されています。絵画でも、美しい黒髪女性として描かれています。温泉で髪を洗っていたのが、美髪の秘密だったのかもしれませんね。
 

専属ヘアスタイリストがついていた、マリー・アントワネット

マリー・アントワネット
この表紙は1783年に完成したマリー・アントワネットの肖像画(『マリー・アントワネット 下』シュテファン・ツヴァイク 著, 中野 京子 翻訳・角川書店/文庫
マリー・アントワネットは「ベルサイユのばら」でおなじみ、18世紀のフランス国王ルイ16世の王妃です。浪費家というイメージが強いですよね。当然、自分の美しさのためにもお金をかけていたそうで、今で言う専属ヘアスタイリストを雇っていました。ヘアスタイリストの名前はレオナール。その給料は、大臣クラスであったと言われています。
 
マリー・アントワネット
フランス王妃となり、髪の高さを競っていたころのマリー・アントワネット(『王妃マリー・アントワネット―青春の光と影』藤本 ひとみ 著・角川書店/単行本
このレオナールは、当時としては斬新なヘアスタイルを、マリー・アントワネットにいろいろ提案して採用されたそうです。その一つが、上へと高く結いあげたヘアスタイル。あっという間に、貴族の女性の流行になったのは言うまでもありません。頭に帆船の模型を載せたスタイルや、花瓶を載せてバラを挿したスタイルなどが流行したというから、驚きです。
その後、マリー・アントワネットは出産のため、髪が抜け落ちてしまいます。この時、レオナールは、すでに日常的になっていた高く結いあげるヘアスタイルを否定し、カールを下へ垂らした「子供風(=a l’enfant)」という新たなスタイルをマリー・アントワネットに進言し、新しい流行を作り上げたのです。

当時のフランスにはお風呂に入る習慣がなく、そのため香水文化が発達しました。しかし、マリー・アントワネットはオーストリア人。オーストリアにはお風呂に入る習慣があり、ベルサイユ宮殿にお風呂を持ち込んで入っていたそうです。フランスに入浴の文化を持ち込んだ先駆者だったのです。ちなみに、フランス革命後、幽閉されていた時もお風呂には入っていたそうです。よほど、きれい好きだったのですね。

・参考文献:『化粧文化 第39号』ポーラ文化研究所(1999年)

3人の美女に共通するのは、お風呂好き。そして、髪に気を遣っていたということ。昔も今も、「髪は女の命」というわけですね。私たちも彼女たちを見習って、ヘアケア・頭皮ケアを行って、美髪をキープしましょう!

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