(撮影協力=航空写真家・佐藤眞博氏)
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【P.1】 いつつぶれてもおかしくない、かつてはそんな噂も
【P.2】 良い面も悪い面も会社はすべてガラス張り
【P.3】 社員が一丸となれる体制づくりを経営再建のベースに
【P.4】 個人の考えや意思が尊重され働き方も自由に選択
いつつぶれてもおかしくない
かつてはそんな噂も
「私が入社した1993年は、会社がとても大変な時期でしたね」
成田空港に勤務する旅客運航部主任、坂本卓也さんは、当時を振り返ってそうしみじみと語りました。坂本さんは入社後、乗務員として約1年間フライトに乗務し、翌94年の関西国際空港のオープンと同時に地上勤務に。2003年10月から現職に就いています。
成田空港に勤務する旅客運航部主任、坂本卓也さん |
なるほど、1990年代の前半といえば、コンチネンタル航空の評価は決して高くはありませんでした。それどころか、同社にとっては最悪の時代だったと言っていい。当時は「いつつぶれてもおかしくないエアライン」とまで噂されていたほどです。
定時到着率はアメリカ大手10社の中でも最下位、乗客1,000人当たりの手荷物紛失個数は堂々第1位、乗客からの苦情件数もトップ……。そうした“どん底”の状態から今日の姿に会社を建て直したのが、94年に会長兼CEOに就任したゴードン・ベスーン氏(04年退任)でした。
「トップマネジメントが変わり、会社が変化していく様子を第一線の現場で日々感じながら、私たちも仕事に取り組んできました。そういう中で気づきはじめたのが、自分たちが頑張れば会社も変わり、お客さまも評価してくれるということ」と坂本さん。「それと同時に、いい方向に会社を導こうと頑張っている社員を、会社もきちんと評価しようという姿勢が強まっていった。やる気の持てる会社になってきたな、という実感がどんどん膨れ上がっていきました」
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