航空券/航空会社・エアライントピックス

デルタ航空の国際ネットワーク戦略

年間約8,500万人もの人が行き交うアメリカ・ジョージア州のアトランタ国際空港。この世界一のハブ空港を拠点に、いよいよ“攻めの経営”に転じた全米第3位のエアライン──デルタ航空をレポートします。

執筆者:秋本 俊二

ACI(国際空港評議会)が発表した航空旅客統計によると、2006年の世界の航空旅客数は前年比約5%増の43億9,000万人に達しました。空港別ランキングのトップは米国ジョージア州のアトランタ国際空港で、年間で約8,500万人もの人が利用。1日に23万人以上が同空港を行き来した計算で、まさに「世界一忙しいエアポート」と呼ばれるゆえんですね。そしてこのアトランタ国際空港に本拠を置くのが、業界全米第3位のデルタ航空です。シリーズでお届している「世界の個性派エアライン」──今回はこのデルタ航空にスポットを当てました。

── Page Index ──
【P.1】 ミシシッピーの三角州で生まれた国際派キャリア
【P.2】 “チャプター11”を脱却し「攻め」の経営に転じる
【P.3】 世界最大のハブ空港を拠点にした国際ネットワーク
【P.4】 成田線をアジア展開の核に据え最新鋭777を投入



ミシシッピー川の三角州で生まれ
国際派キャリアとして急成長


「デルタ航空」って、どこから名前が来ているの? 読者からそんな質問を受けることがあります。そこでまずは、同エアラインの歴史をざっと振り返ってみましょう。

デルタ航空の前身であるハーフ・ダランド・ダスター社は、農薬散布をメイン業務とする会社として1924年にルイジアナ州モンローで設立されました。創業者のC・E・ウールマンはその後、旅客事業の将来性に着目し、1929年に旅客サービスを開始。このときに、社名もミシシッピー川の三角州にちなんで「デルタ・エア・サービス」と改名されたのです。

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新塗装が施されたデルタ航空の機体(左)と、リニューアルされた乗務員ユニフォーム(右)

1941年に本社を現在のアトランタに移転。1953年にはシカゴ・アンド・サザン航空と合併してアメリカ南部と北西部へルートを広げ、大量輸送時代に入った70年代にはノースイースト航空を買収し世界を代表するメガキャリアに成長しました。1984年~85年には過去最高の収益を上げています。

「デルタのあの頃の勢いはすさまじかったね」

その成長パワーは、当時を知る多くの業界関係者の間で語り草になっています。日本への乗り入れを果たしたのは、ポートランド経由でのアトランタ/東京線を開設した1987年3月。その翌月にはウエスタン航空を吸収合併して西海岸路線を獲得し、さらに1991年にはパンナムから大西洋路線を買収して国際線キャリアとしての急成長を遂げました。

そんな勢いに乗るデルタ航空を足止めさせたのが、世界中を震撼させた2001年9月のあの出来事でした。


≫≫≫ 次のページは「“チャプター11”を脱却し早くも新プランを展開」
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