欲しいものは自分たちで作ろう!
教える先生も日本手話を母語とするろう者。教室では楕円形に座ることが基本です。全員の様子と、それぞれの手話のやりとりも見渡すことができます。 |
そう聞くと、とてつもなく大きな“事業”のように聞こえます。莫大な予算が必要だったり、たくさんの人が動いたり。
そもそも、個人やグループでNPOを立ち上げ、学校を作ったりすることができるのでしょうか。2008年の4月に開校した明晴学園は、NPO法人が設立した学校です。そして開校までを支えたのは、ろう(聞こえない人)の子どもを持つ親たちでした。前回記事でご紹介した日本手話と書記日本語のバイリンガル教育を行う学校です。
口話発声法(相手の口元を読みとり、声を出して会話する方法)が中心のろう学校では、学習内容を充分に理解できない子どもがいる。その子どもたちに合った教育をというのが、そもそもの出発点でした。校長の斉藤道雄先生はこう話します。
「私たちは口話発声法の教育を否定しているわけではないんですよ。口話発声法にむいているお子さんもいます。でも、その一方で、口話発声法では先生の話を理解できずに授業から取り残されていってしまう子が本当に多いんです。仮に口話発声法がわからないことで他の教科の学びがおろそかになってしまっても、それをフォローするようなことは行われていません。そのことに疑問を感じた親たちが中心になって、週に1回放課後に数名を対象にした塾を開いたのがそもそもの始まりでした。」
そうしてできたのが、明晴学園の前身であるフリースクール龍の子学園です。1999年のことでした。文字通り、足りないもの、欲しいものは自分たちで作る発想です。
求めたのは、子どもが自然に学べる場
3月に廃校になった旧八潮北小学校を校舎として使っています。 |
「そうは言っても資金がないので、大変でした。教室の場所ですら、なかなか定まらず、品川や池袋など、あっちこっちを放浪したんですよ」
と、斉藤先生は振り返ります。
NPOを立ち上げ、それを維持するために必ず立ちふさがるのは、場所の問題と資金の問題。それを解決するきっかけとなったのが、教育特区制度でした。学校法人以外による学校の設置・運営を認めたり、市町村による社会人等の教員への採用、 授業を英語で実施することや小中高一貫教育等多様な教育カリキュラムを認めようという制度です。これを利用したことで、学校開校への道が開けました。
保護者が中心となり募金を集め、各関係機関に日本手話の学校を設立することの重要性を訴えるなどの地道な活動が実を結び、学校法人として認可され、この4月の開校となったのです。校舎は2008年3月に廃校になった旧品川区立八潮北小学校を利用できることとなりました。
「学校が無事に開校したことはもちろん、うれしいですよ。でも、同時になぜこんなに時間がかかったのだろうかという思いもあります。日常的に使う日本手話で学びたいという当たり前のことを望んだだけなんです。でもいろいろな事情でそれができませんでした。待っていても状況は変わらないんです。それどころか子どもたちがどんどん大きくなっていけば間に合わなくなるかもしれません。だから、親たちが立ち上がって、学校を設立したんです。そう思うと、活動を始め、10年経ってやっとここまでこぎつけたという思いです」(斉藤先生)