弱者に寄り添うプリンセスだったダイアナ妃
世紀の結婚といわれたロイヤルウェディング。このときのダイアナ妃は、まさにシンデレラで世界中の目が釘付けになりました |
イギリスだけに限らず、ロイヤルファミリーはさまざまな慈善事業を公務として行っています。その多くは、名誉職や後援者として名を連ね、公式行事などに参加したり、寄付を呼びかけたりするいわば広告塔の役割です。ダイアナも、皇太子妃時代にはそういった肩書きを100近く持っていました。
ただ、HIVやガン患者、恵まれない子どもたちなど弱者に共感し、熱心にチャリティ活動に取り組む姿は、皇太子妃時代から王室の公務として行っているだけではないようだとも言われていました。そんな姿を多くのイギリス人が、弱者に寄り添う思いやりのあるプリンセスとして慕ったのです。
取り残された人たちに支持されたダイアナ妃
美しいシンデレラは妻となり、母となり、そして自立した女性へと成長していきました |
それは、労働者階級の女性であったり、移住労働者であったり、同性愛者であったりしました。現代の日本で流行っている言葉を使えば、負け組に追いやられた人たちでしょうか。弱者を思いやるダイアナ妃は、勝ち組を奨励するサッチャー元首相と対比される存在でもあったといえるでしょう。
同時に、幼いときから求めていた幸せな家庭をついに手にできなかったダイアナの姿は、離婚や家庭崩壊が増加していた当時のイギリスの女性たちの共感をも呼びました。ダイアナが自らの力で人生を切り開いていく姿に、どこか自分をオーバーラップさせていたとも言われます。
“国民の心の女王”をめざす決意
ダイアナ自身も、そういった国民の思いに応えるかのような行動をしています。離婚が決定的になった1995年の11月には、BBCテレビのインタビューでこんな発言をしました。「これから、私は国民の心の女王を目指していきたいのです」
1996年7月12日、ダイアナはチャールズ皇太子との離婚に合意すると同時に、それまでの肩書きや後援者の大半を辞任しました。8月28日の正式離婚後は、最も関心の高かったエイズ基金、ガン撲滅、そして地雷廃絶などに力を注ぐことを表明し、精力的に活動に取り組んだのです。
地雷廃絶運動の旗手として活躍したダイアナ
地雷によって足の一部を失ったアンゴラ子どもたち。地雷の被害を受けるのは、一般の市民で、特に子どもが多いといわれます。©JCBL |
敵の戦車を爆破させ、兵士にケガを負わせることを目的に開発された地雷は、大きく戦車用の対戦車地雷と人間用の対人地雷に分けられます。
・小さく軽く、1つあたり3ドルから30ドルの安価で製造できること
・相手が死なない程度の大けがを負わせること
・通りかかった人を無差別に傷つけること
・腐食しないプラスチック製で、金属探知器では探せないこと
・撤去しない限り、半永久的に地中に残っていくこと
このような理由から、悪魔の兵器、あるいは貧者の兵器とも呼ばれます。
地雷の使用を制限する国際的な条約として1983年に特定通常兵器使用禁止条約(CCW)が発効されていますが、これは、自動的に爆発する自滅装置付きの地雷や、金属探知器が使えないプラスチック製の対人地雷の使用は禁止していませんでした。そもそも地雷が存在することが問題であるという認識で作られておらず、批准国も少ないことから、効力に疑問のある条約でした。
地雷の全面禁止を目指す世界的な取り組み
手のひらに乗ってしまうチョウチョウ型といわれる地雷(写真は模型です)。「何だろう?」と子どもたちが手にして被害に遭うケースは後を絶ちません |
地雷の全面禁止は軍事問題であり、国家間で取り組むべきものだ。NGOの手に負えるものではない、という懸念の声もありましたが、ICBLは一般の人々を巻き込む地雷は人道問題であることを訴え、地雷なき地球を目指して運動を起こしていったのです。
そういった中で、ダイアナ妃がアンゴラやボスニア・ヘルツェゴビナの地雷原を視察し、被害を受けた人たちを励ましたことは、世界の人びとの関心を地雷に向けるために大きな役割を果たしました。防御マスクをつけ、危険な地雷原を歩くダイアナの姿は世界中に配信され、それまでまったく地雷を知らなかった人の目をも引きつけたのです。
地雷被害者に勇気と希望を与えたダイアナ妃
地雷撤去にあたる専門家にとっても作業は命がけ。そんな場所に売名行為が目的でいけるはずはありません©JCBL |
しかし、危険な地雷原に自ら入っていく。そんなことを、売名のためなんかでできるはずはありません。ダイアナも、地雷を軍事問題ではなく人道問題と受け取り、被害者へ希望と勇気を与え、世界に地雷の悲惨さを訴えることを自身の使命と考えていました。
地雷廃絶を訴える絵本「地雷ではなく花をください」を1996年に発行した日本のNGO、難民を助ける会がダイアナ妃に協力を呼びかける手紙を送ったところ、数日後に「その本をぜひ読みたい。共にがんばりましょう」という返事が届きました。
また、1998年1月に日本で予定されていた東京地雷会議の出席とチャリティウォークへの参加の意向も示していました。こういったエピソードからも、ダイアナ妃が心から地雷廃絶を願っていたことが伺えます。※1)
歴史に「もし、~したら」を思うのは無意味なことですが、それでも「もし、あの事故がなかったら」私たちは東京で地雷廃絶を訴えるダイアナ元妃の姿を見ることができたのかもしれない。健在だったら、46歳になっているはずの今、世界平和のためにどんな貢献をしたのだろう。そう思わずにはいられません。
※1)1997年9月1日付け朝日新聞朝刊を参照しています
対人地雷全面禁止条約の調印
9月1日 | 対人地雷全面禁止条約の起草会議が開催 |
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9月18日 | オタワ条約が締結され、会議は閉幕 |
10月 | ICBLとコーディネーターにノーベル平和賞が贈られることが決定 |
12月 | オタワ条約:対人地雷全面禁止条約に122カ国が調印 |
122ヶ国が調印したオタワ条約の調印式。日本からは当時の小渕外務大臣が出席しました。©JCBL |
会議が行われる中、ダイアナ妃死去のニュースと生前の功績がクローズアップされるにつれ、地雷廃絶への世界の世論が急速に高まっていきました。それにおされるかのように、対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)がまとまり、会議は18日に閉幕しました。
翌10月には、ICBLとコーディネーターのジョディ・ウィリアムズ氏に1997年のノーベル平和賞が贈られることが決定されます。そして、12月3~4日には、122ヶ国が正式に参加し(非公式参加37カ国)、対人地雷全面禁止条約に調印しました。
日本は当初、地雷は軍事上必要な兵器だと主張し、全面禁止には消極的でしたが、調印式の1週間前の11月27日に条約署名式に正式参加することを表明します。これは当時、外務大臣だった小渕元首相の英断と言われ、自らオタワに訪れ、調印を行いました。なぜ突然、参加を表明したか、その背後にどんな理由があったかはわかりません。小渕元首相が急逝してしまった今となっては、確認するすべもありません。
市民の条約作りへの気運を高めたダイアナ
地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL)では、条約に批准していない国にオタワ条約早期加入を訴えるメッセージの書かれたちょうちょ型のカードを届けるちょうちょキャンペーンを行い、多くの人の参加を募っています |
地雷なき地球を目指した市民が条約作りに参加したことから、オタワ条約は、市民の作った条約とも呼ばれています。その実現には、地雷廃絶運動の気運を盛り上げ、被害者をはじめとする多くの人々に希望と勇気を与えたダイアナ妃の存在をなくしては語れません。
慈善活動に取り組む一方、スキャンダルにも彩られた
自らの不倫をテレビカメラの前で告白するといったスキャンダラスな行動もダイアナ元妃の一面でした。 |
スーパーモデルのような一面とマザー・テレサのような一面。相反するその行動ぶりは、1997年の1月から、亡くなる8月までの足跡を振り返っても見てとれます。
1月13日 | アンゴラを訪問。地雷原に立ち、対人地雷の全面禁止を訴える |
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3月9日 | ウィリアム王子の堅信式に出席 |
6月18日 | NYブロンクスの修道院施設にマザー・テレサを訪ねる |
7月15日 | 南仏でエジプト人富豪ドディ・アルファイド氏と出会う |
8月7日 | アルファイド氏と地中海でバカンスを過ごしたと報道される |
8月8日 | ボスニア・ヘルツェゴビナを訪問。地雷廃絶を訴える |
8月22日 | 地中海でアルファイド氏と休暇を過ごす |
8月30日 | フランス・パリのリッツホテルで、アルファイド氏と夕食 |
8月31日 | セーヌ川沿いの自動車道路内で起きた衝突事故で死去 |
ダイアナと結婚する前のチャールズ皇太子は、環境問題や労働問題にも関心の高い思慮深い人としてインテリ層からの支持が高かったとのだとか。それはたぶん王室全体のイメージだったのでしょう。でも、ダイアナ妃はある意味俗っぽく、常にスキャンダラスな話題にも彩られ、インテリとは少々違う世界の方。だからこそ多くの人に支持をされ、そのことが、正統的な「王室」のイメージをも大きく変えてしまいました。
没後なお愛されるダイアナ
ダイアナ(プリンセス・オブ・ウェールズ)1961年7月1日生まれ、1997年8月31日に交通事故により亡くなる |
【関連リンク】
- Princess Diana Foundation(ダイアナ基金) ダイアナ元妃の遺志を受けつぐために作られた基金です。
- おすすめ本「地雷と人間―一人ひとりにできること」 地雷とは何か、私たちに何ができるかをコンパクトにまとめています。
- 地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL) ICBLと連携するNGO。2007年7月21日には、日赤会館(日本赤十字社ビル)2階にて10周年記念事業が行われます。
- 難民を助ける会 ICBLに参画し、地雷廃絶に取り組む。ダイアナ妃も関心を持った絵本「地雷ではなく花をください」の情報もあります。
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