認知症

Q. 「睡眠薬を飲んでいる人は認知症になりやすい」って本当ですか?

【薬学部教授が解説】「睡眠薬・精神薬が認知症をまねく」「マイスリーで認知症になる」といった情報に、不安を感じている方がいるようです。論文に発表されたと聞くと、科学的な信ぴょう性が高い情報と思われそうですが、まずは元の論文を歪曲せず、正しく読む力が大切です。分かりやすく解説します。

阿部 和穂

執筆者:阿部 和穂

脳科学・医薬ガイド

Q. 「睡眠薬を飲んでいる人は認知症になりやすい」って本当ですか?

不眠に悩む女性

健康でいるために不眠を改善したいのに、睡眠導入剤にもリスクがある? 情報の真偽は……


Q. 「『睡眠薬や精神薬で、認知症リスクが高くなる』というニュースが話題になっていると知りました。私自身、20代の頃から不眠の症状があり、毎日ではないものの10年以上にわたって睡眠導入剤を利用しています。このままでは将来、高い確率で認知症になってしまいそうで、とても不安です。今すぐに睡眠導入剤をやめれば、少しはリスクを下げられるでしょうか?」
 

A. 心配には及びません。元となる論文が歪曲された、誤った情報です

「睡眠薬が認知症をまねく」といった情報がネット上で話題になっているようです。筆者も内容を確認しましたが、睡眠薬としてよく処方されている「ゾルピデム」が、脳から老廃物を運び出す仕組みを抑制し、認知症をまねく恐れがあると指摘した研究論文が世界的学術誌『Cell』に掲載・発表されたという内容のものでした。ゾルピデムの先発品は「マイスリー」という販売名で、こちらも多くの方に知られていると思います。

薬学と脳科学の専門家として、筆者はそれらのネット記事には大きな問題があり、うのみにしてはいけないと感じます。分かりやすく解説しましょう。

該当する研究論文は、Cell 188(3): 606-622, 2025に掲載されていますので、英語の論文が読める方は、ぜひご自分の目で確かめてみてください。

実は、この論文は “Norepinephrine-mediated slow vasomotion drives glymphatic clearance during sleep.”というタイトルで発表されています。睡眠中に起こる「グリンパティック・クリアランス」という、脳に溜まった老廃物などを運び出す仕組みが、ノルアドレナリンという物質を介した緩やかな血管運動によって駆動されている、ということを実証したものです。決して睡眠薬の研究を目的にしたものではありません。しかも、人間ではなく、マウスを使った実験結果が示されているだけのものです。

元の論文を確認すると、睡眠薬である「ゾルピデム」が登場するのは、ごく一部の実験だけであることがわかります。その上、ゾルピデムを投与したときには、ノルアドレナリンを介した血管運動が低下すると同時に「グリンパティック・クリアランス」も低下したので、ノルアドレナリンと「グリンパティック・クリアランス」の関係性が支持された、と述べられているだけです。

また、さまざまな睡眠薬の効果を比較したうえで、特にゾルピデムに問題があったことを示しているわけではありません。特別な事情はなく、現在よく汎用されているものとしてゾルピデムが使われただけのようです。もしゾルピデム以外の睡眠薬を与えた場合に同じことが起きたとすれば、それはゾルピデムの問題ではありません。

さらに重大なポイントして、論文をしっかり読むと、薬の量にも見過ごせない点があります。この実験でマウスに与えられたゾルピデムの量は5mg/kg(腹腔内投与)です。体重50kgの成人に換算すると、250mgもの量になります。

ゾルピデムの先発製品である「マイスリー」の添付文書には、用法・用量として「通常、成人にはゾルピデム酒石酸塩として1回5~10mgを就寝直前に経口投与する」と記載されています。また、より詳細な製品情報が記載されたインタビューフォームには、マウスと同じげっ歯類(ネズミ)であるラットを用いた実験結果として、「人工呼吸下、不動化したラットにおいて0.1mg/kg以上の腹腔内投与又は0.3mg/kg以上の経口投与で、脳波を高振幅徐波化させ徐波睡眠を惹起した」と解説されています。論文では、通常、人間が服用する量とは桁違いの過剰量で、ゾルピデムが与えられていることに注意すべきです。

そもそも、この論文は、ゾルピデムの過剰量投与によって脳波を大きく変化させたときに、ノルアドレナリン量と血流変化と「グリンパティック・クリアランス」がどう影響されるかを調べただけのものです。しかも、過剰量を1回与えた結果を報告しているだけであり、適正量を繰り返し飲んだときにどうなるかを検証しているわけではありません。ですから、この結果をもって、私たちが服用するかもしれないゾルピデムの危険性を議論するのは、間違っていると思います。

論文の本筋とは関係のない一部だけを切り取って、大げさに歪曲して伝えることは、論文発表した研究者たちに対しても失礼なことです。また、それをうのみにして間違った情報を流布することで不安を扇動するのは、科学的に許しがたい行為だと筆者は思います。今回の論文を元として、ゾルピデムのことを「認知症をまねく恐るべき睡眠薬」と決めつけるような情報は、あってはいけないものです。

睡眠は健康のために大切ですし、睡眠不足はさまざまな弊害を招きます。良質の睡眠は、認知症予防に有効なことも、近年の研究から明らかになっています。一方で今回の論文とは別に、多くの睡眠薬や抗不安薬には、記憶障害をまねく作用があることも知られています。例えば、効き目が早く持続が短い「超短時間作用型」に分類される睡眠導入剤の「ハルシオン」(有効成分:トリアゾラム)は、使いやすさから汎用されていましたが、服薬時の出来事を覚えていないといった記憶障害が生じると分かりました。そのため、現在では特に高齢者には用いないほうがいいと考えられています。

今回の質問者の方のように不眠で悩んでいる方は、健康のために不眠を解消したいが、そのために睡眠薬や抗不安薬を使うことも不安だと思われるかもしれません。なかなか難しい問題ですが、医薬と認知症を専門とする筆者は、睡眠時間が短くてもすっきり日中活動ができるようであれば、睡眠薬は必要ないと思います。睡眠不足で日常生活が毎日つらくなるほどならば、あまり気にしすぎずに睡眠薬を使ってもよいと考えます。極端に誤った情報を信じるのではなく、正しい情報を基にメリット・デメリットを天秤にかけ、生活の質を健康的に保っていくことが大切ではないでしょうか。

■参考論文
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