父を忌み嫌っていた母
「私の両親はずっと仲が悪かったんです。子どものころから両親が笑顔で話しているのを見た記憶がない。母は父の悪口ばかり言っていました。私は母の悪口雑言のゴミ捨て場みたいな役割だった」そう話すのはリエコさん(44歳)だ。高校生のころ、「家族の在り方がおかしい」と思うようになった。無口で時々キレる父、その父を忌み嫌い、リエコさんを「夫」のように頼ってくる母は、3歳違いの妹には妙に「いい母親」をしていた。
「父がキレるにはわけがあるのだろうと思っていました。いい年してキレる父も父だけど、父は母が自分を下に見ている、どこかバカにしていることが分かっていたんだと思う」
その原因は、父のコミュニケーション下手にあったとは感じたが、不器用で、実は母を頼っている面もあるとリエコさんは思っていた。だが母は、自分で何でもできると豪語しながら、実は「頼りたい」タイプ。いつでも、自分は不遇だ、お父さんは冷たくてわがままで独善的だとリエコさんに吹き込んでいた。
だがリエコさんも、いつまでも母の言い分を信じてはいなかった。ふたりの相性が最悪で、なおかつどちらも関係改善に努力をしなかっただけと割り切るようになり、大学卒業と同時に家を出た。
両親を反面教師にして
「親からの悪影響を振り払うために、私は私で人として、社会人として努力したつもりです。あの夫婦関係を再現しないために、私は何でも話せる人と結婚しました。恋愛感情より、人と人としての結びつきを大事にしたんです」3年の交際を経て同い年の彼と結婚したのが32歳の時だ。仕事を続けながら2人の子を育てている。夫とは家事も家計も分担してきたが、夫が家事をさぼっても「笑って許して罰金をとる」ような明るい関係だという。
「文句があったらすぐ言います。母のようにネチネチ愚痴を言わず、本人に直接、きちんと文句を言う。言ったらもう終わり。子どもを巻き込むようなことだけはするまいと思っています」
夫を忌み嫌う女性にはなりたくなかった。
母が近所に越してきて
父が亡くなったのは4年前だ。「これで自由になれた」と明るく言った母は1人暮らしを満喫しているように見えた。だが、やはり母自身が人との関係をうまく作れない人だったのだろう。近所の人にやたらと愚痴をこぼしたりするようになっていき、たまたま実家に戻った時に会ったその人に「お母さん、大丈夫?」と言われたこともある。1年後、母は「死にたい」と言いだした。誰も私を認めてくれない、何のために生きているのか分からない、と。
「いい大人が何を甘えたことをと思いましたが、結局、母は“一家の主婦”という立場だけがプライドだったのかもしれません。1人暮らしで気楽だろうと思ったけど、文句を言いながらも誰かがいないと生きていけないんでしょう」
すでに自分の両親を亡くしていた夫が、「かわいそうだから近所に住んでもらうのはどうだろう」と言いだした。近くに住んだら自分の心が壊れそうだと思ったが、1人だと心細いんじゃないかという夫の情にほだされたのが私の間違いだったとリエコさんは苦笑する。
「実家を売って、私の自宅近くの小さなマンションで暮らすようになったんですが、とにかく私の生活に干渉してくるんですよ。『うちのことは放っておいて』と宣言、母が行けるような地域のサークルなどを教えたら行き始めたものの、あまり楽しくないと愚痴ばかり。ああ、そうだった愚痴女王だったと思い出しました。長く別々の生活を続けていたから、母の性格を忘れかけていたんです」
母と完全に決別
距離をとりつつ付き合っていたが、たまに世間話の折にうっかり自分の話をしてしまうこともある。「最近、職場でスマホ写真部ができたんです。私がスマホで写真を撮ることにはまって、同僚たちと立ち上げた。みんな公私ともに忙しいので、ランチタイムを短縮して会社近くで撮影会をしたりして楽しんでいて、社内で写真展をしたりして。私が撮った写真がみんなに褒められたと母にちょっと話をしたんです。すると『職場って仕事をするところじゃないの? 遊びに行ってるの? なに調子に乗ってるの』と立て続けに言葉の暴力。しまったと思いましたね」
その後、リエコさんはふと思い出した。母が一時期、陶芸にはまり、自分の作った皿が作品展で売れたとうれしそうに話していたことがあった。その時、父がポツリと言ったのだ。「見る目のない人がいるもんだな、なに調子に乗ってんだ」と。母はその言葉に傷つき、陶芸をやめてしまった。そして父への恨みをいっそう募らせていったのだ。
「あの時、父に言われて傷ついた言葉を、今度は私に向けてきた。人って、自分がされて嫌だったことを他の人にもしてしまうものなのかもしれませんね。母が父の言葉を覚えているかどうか分からないけど、あれは明らかに私を傷つけるために発した言葉です。母は大人になってから、まったく成長してこなかったんだなと哀れにさえ思いました」
心の中で、母と完全に決別した事件だったとリエコさんは言った。今後、何があっても心から母に寄り添うことはないだろうと。
母は自分の心の傷を癒やすために、無意識に娘を傷つけたのかもしれないし、冗談交じりに言ったつもりなのかもしれない。だがいずれにしても、もう娘の気持ちは戻ってこない。老いてなお、どうして娘を傷つけようとするのか。
「理解する気もないですけどね」
リエコさんは妙にさっぱりした顔でそう言った。