2002年、あなたはどこでW杯を見ていましたか? 運良くチケットを入手してスタジアムで観戦した人、テレビの前で手に汗握った人、スポーツカフェに行ってお祭り気分で騒いだ人、もしかして道頓堀にダイブした人もいたりしますか? ……まさか、ね?……。

たくさんの人の思い出と共に、日韓がサッカーに熱狂した1カ月でしたよね。サッカーにはあまり詳しくなかったガイドも、「W杯ってこんなに楽しいんだぁ!」とワクワクしたことが忘れられません。今回、ご紹介するのは、その2002年W杯日韓共催大会をボランティアとして心の底から楽しんだ方々です。

各国のサポーターと共に過ごした2002W杯

サッカーをこよなく愛する人たちは、スタジアムの外でもW杯。こ~んなに楽しい人たちに囲まれるボランティアはそうそうありません!左から4番目の女性が野崎さんです。©野崎美智江
「2002年のW杯、楽しかったですよ。いろいろな国からサポーターが来ていましたので、たくさんの人と接して、話して、笑っている間にあっという間に過ぎていきました。」と、うっとりしたような表情で話すのは「2002ワールドカップ横浜ボランティアの会」(以下、よこはま2002)で活動する野崎美智江さんです。

よこはま2002は、2002年のW杯日韓共催大会で、横浜市のボランティアとして活動したメンバーが中心になって「また、あの熱狂のうずに身をおきたい!」と結成されました。現在328名が登録し、W杯を通じて得た経験や知識を受け継きながら、横浜市で行われる様々なイベントや観光案内、スポーツ大会などでボランティアとして活躍しています。

現在、副代表を務める野崎さんは、元々大のサッカーファン。特にヨーロッパのサッカーが大好きだったそうです。1990年のW杯イタリア大会の頃からのファンだといいますから、筋金入りかも。

しかも、住んでいるところは、横浜です。2002年のW杯が日韓共同開催されると決定され、なんと決勝が横浜で!と聞いた日には「何としてもボランティアとして関わりたい!」と思ったといいます。当然の選択ですよね。

そこで、横浜市の募集に応募、見事に採用され、ボランティアとしてW杯に参加することになったのです。周辺の案内や会場に入るサポーターの誘導、フーリガン対策、救護、そしてスタジアムに来たものの入りきれなかったサポーターを整理し、パブリックビューイングへの誘導などを主に、数々の試合をボランティアとして支えました。

ラテン系ボランティア、W杯ボランティア

決勝戦の当日、スタジアムの外ではこんな楽しい光景が!今度生まれ変わったら、ラテン系もいいかもと思うのはお祭り好きのガイドだけでしょうか。©野崎美智江
中でも忘れられないのが、2002年6月30日の決勝戦。

「スタジアムで観戦するだけがW杯じゃない!」とばかりにスタジアムにやって来て、会場周辺で歌ったり、踊ったり、騒いでいるたくさんのブラジル人サポーターたちと共に「ラテンの国の神様」とまで呼ばれるサッカーの熱気に思う存分にひたったひとときでした。

そのときの写真の一部が上の写真です。こんな人たちが相手のボランティアだなんて、そりゃ、楽しいだろうなと思います。W杯ボランティアはまさに“ラテン系ボランティア”。ラテンのノリで思い切り楽しむのが正しいW杯ボランティアのあり方なのだと思ったガイドです。

普通の主婦の世界を変えた!

野崎さんはW杯ボランティアを体験して「世界が変わった」といいます。

「普通の主婦ですから、普段の生活では行動範囲が限られてしまいますよね。活動に参加したことで、海外のサポーターを目の当たりにしたり、バッグボーンの異なるボランティアの人たちと一緒に行動したりを通じて、それまでとは考えられないくらいに自分の世界が広がりましたよ。それが一番の収穫でした。」

ボランティアは初めての経験だった野崎さんを筆頭に、参加していた多くの人もまた初心者ばかりだったそう。年代は20代から60代までと幅広く、その経歴も文字通り千差万別でした。中南米駐在経験のある元商社マンだったり、韓国と関わる仕事をしていたり、「こんな大きなイベントを横浜でやるからには、何かやらずにはいられない。」という生粋の浜っ子だったり、さらには作家や国会議員だったり。こういった様々な経歴と肩書きを持つ人たちと対等な関係を築くことこそ、ボランティアの醍醐味の1つです。

初心者にしてその醍醐味を知ってしまい、さらには、ラテンのノリでボランティアを楽しんでしまった(?)結果、野崎さんをはじめよこはま2002のメンバーが達した結論は「楽しくなければボランティアじゃない」でした。 

それはそのまま、よこはま2002のモットーでもあるそうです。

次のページでは、W杯ボランティアとはいったいどんな存在なのかをご紹介しましょう。