トランスジェンダーにとって一つの選択肢になる「ホルモン療法」とは
トランスジェンダー当事者にとっても避けることができない「二次性徴」。強い表現をすると、二次性徴の時期は、「体が、望まない状態に変化してしまう時期」でもあります。
心の中の本当の性は女性でありながら、出生時の生物学的な性は男性のAさんへのインタビューを交えながら、二次性徴が引き起こす問題と、現在選ぶことができる対処法、また、当事者の精神面の課題について、考えてみたいと思います。
二次性徴とは
二次性徴とは、出生時の生物学的な性に応じて、男性・女性ともに生殖能力を備えた身体へと変わっていく生理的変化のことです。一般的には11~12歳から16~17歳までの、いわゆる「思春期」に起こります。多くの場合、男性は声変わりやひげの発生、女性は月経の開始などから始まります。トランスジェンダー当事者にとっての二次性徴に伴う悩み
トランスジェンダーにとって、二次性徴は、心の中の本当の性とは異なる方向に肉体が変化していく時期です。当事者にとっては、現実を受け入れ難いという心理状態になることも、珍しくありません。生物学的な性は男性のAさんも、性自認は女性であるにもかかわらず、二次性徴によって声変わりが始まり、顔のひげなどの体毛が濃くなっていく中、「女性らしくなくなっていく」という不安が、ずっと頭から離れなかったそうです。小中学校ではコーラス部に所属していたため、声変わりによる声の変化も、とても恥ずかしく、つらいものでした。
もちろん、二次性徴の体の変化に伴う精神的な不安や恥ずかしさなどは、トランスジェンダー特有のものではないでしょう。筆者自身も声変わりが周りよりも早かったため、中学校に入学してすぐに開催された運動会で、周りのみんなより応援歌を歌う声が低いことを指摘されて、恥ずかしく感じた記憶があります。トランスジェンダーの場合、そういった思春期特有の不安定な気持ちに、さらに性自認と異なる体に変化してしまうという不安が加わってしまうわけです。
二次性徴期の心の動揺を、Aさんはご両親に相談したかったと話します。しかし昭和50年代には「性的多様性」への理解はまだほとんどなく、家族にも理解されることがなかったそうです。小学生の頃から、ご両親の誤った認識から、「精神科に連れて行くぞ」といった脅しをされてつらかったことを、Aさんは今でも忘れることができていません。結局、精神的な面でもご両親の助けは得られず、不安を紛らわすために、少し乱暴な言動で家族に接してしまった時期もあったそうです。
心と体の性を一致させることは可能? 「ホルモン療法」とは
二次性徴の体の変化は、性ホルモンの作用によって起こります。そのため、性ホルモンの作用自体をブロックしたり、本当の心の中の性に相当する性ホルモンの作用を増強したりする「ホルモン療法」が、基本的な対処法の一つです。今回お話を伺ったAさんの場合、二次性徴の時期には間に合わず、トランスジェンダーをカミングアウトした30代中頃からホルモン療法を始められたそうです。すでに二次性徴を終えて成人した後だったこともあり、「身体的な面以上に、心理的な変化をはっきり感じた」と話します。
具体的には、それまでは何か嫌なことを言われたりすると、攻撃的な気持ちになりがちだったのに対し、そういった気持ちがわかずに涙が出てしまうといった反応に変化したそうです。ホルモン療法による、男性的な心理反応から、女性的な心理反応への変化の一つの表れと言えます。
二次性徴を止めることは可能? 18歳未満へのホルモン療法の可否
現在では、18歳未満で思春期を迎えたばかりの方や、思春期の方に対しても、二次性徴を抑制するためのホルモン療法が可能になっています。その際に一般に使われる薬剤は「GnRHのアゴニスト」です。二次性徴は脳下垂体から放出される性腺刺激ホルモンによって性腺が刺激されることで進んでいきます。その放出をブロックするのが、性腺刺激ホルモン放出ホルモンと同様の作用を持つ物質である「GnRHのアゴニスト」です。Aさんがもし早い段階でホルモン療法を始めていれば、思春期の身体の男性化もかなり抑えることができたでしょう。肩幅もそれほど広くならず、成人後の手術の負担も抑えられたと考えられます。
一方で、ホルモン療法にはリスクも伴います。医師として最初にホルモン療法のことを聞いた時には、性ホルモンも含めて内分泌ホルモンは幅広い生理作用があるため、その点が気になりました。一例を挙げると、女性ホルモンは体の脂質代謝にも影響を与えるため、そういった全体の健康状態についても、十分に管理しながら進める必要があります。ホルモン療法を行っているAさん自身も、定期的に検査を受け、中性脂肪、コレステロールなどの数値を確認しているとのことでした。
以前はなかった対処法もあることを知り、誰もが自分らしく、精神的にも健やかに生きていける方法を選べることが大切です。
■参考文献
- Kaplan & Sadock's Synopsis of Psychiatry