
馬越恵美子 教授
―― 馬越先生、今日はどうもありがとうございます。先生はとてもきれいな英語をお話になりますが、先生と英語との出会いを教えていただけますか?
幼稚園から英語教育に触れる
私は、幼稚園、小学校と双葉だったものですから、幼稚園のときから英語の授業があったのです。やはり、小さな頃から英語を始めたせいか、耳が慣れ、発音が身に付いたかもしれません。小学校のときから、いつかは留学したいという思いがあったんですよ。それで、高校のとき、AFS の奨学金をいただき、アメリカに渡りました。今でこそ、いろいろな留学方法がありますが、あの当時は、それしか行く方法がなかったの。だから、一生懸命勉強したわ。あこがれのアメリカのハイスクールへ
留学したのにはもうひとつ理由があったのよ。私ってこう見えても繊細で弱い性格でね。気が小さくて、どちらかというと、いじめられっ子だったの。お友達ともうまくなじめなかったのよ。それに親の保護のもとにいたら、いつまでたってもダメだって、思い切って親から離れて自分ひとりの力でやってみようという考えが心のどこかにあったのね。留学したら、いろいろなことが変わったわ。親に感謝する気持ちも芽生えた。日本にいたら、当たり前にしてもらっていたことも、むこうでは、すべて自分でやらないといけないでしょ。それに、ありがとうという気持ちは、きちんと言葉に出して伝えないと相手には通じない。そういうお国柄よね。語学だけじゃなくて、人間性も学んだわ。
それで、一回り成長して日本に帰ってきたの。帰国したら、すべてが良い方向に向かうようになり、生きるのが楽になったわ。お友達ともうまく関われるようになったし、先生も一目置いてくれるようになった。留学が私を変えてくれたの。
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―― 先生は、フランス語もお話になるんですよね?通訳もされていた。
フランス人に恋をして語学をきわめてしまう
そうなの。おもしろい話があってね。アメリカに行ったとき、カナダのケベック州に修学旅行に行ったんだけど、そこでピエールというフランス人と恋に落ちたのよ。たったの二日間だけだったんだけどね。(笑) そのあと、モントリオールに移動しちゃったので、もう会えないわ、と思っていたら追いかけてきてくれてね、、、。でも、結局、フランス語はしゃべれないし、アメリカに戻った後も、手紙すら書けなかったのよ。でもね、それがきっかけで、フランス語を勉強しよう!って思ったの。それで、大学では、フランス語を専攻し、ロータリー財団 から奨学金をもらってフランスに留学したの。
―― 先生は、お子さんもいらっしゃいますよね。子育てをしながらキャリアを極めた道を少しお話いただけませんか?
母親業もしています
私は30歳で初めての子供を産んだのね。子供が小さなうちは、仕事の量も減らしたけれど、母やお手伝いさん、保育園などの助けを借りながら通訳をしていました。すべてがスムーズにいっているような人生でしたが、このあと、馬越先生には大きな転機が訪れます。⇒⇒⇒