15年位前、一人でケニアに旅行をしたことがあります。プラザ合意以後の円高の恩恵で、、当時大学生だった僕にも、まとまった期間の海外旅行に行くことができました。
現地の旅行会社が主催するツアーに3週間くらい参加しましたが、周りはすべて外国人。しかも、そのほとんどは英語圏の人間。向学心のある人間ならば、自分の英語力を試してやろうとポジティブに考えるのでしょうが、僕のような不勉強な学生には、「こりゃえらいことになったな」が、実感でした。
みんなが仲良く話をしているときに、一人ぽつんとしているのはつらいものです。どうにか仲間に入れてもらわないと、参加したツアーが無駄なものになる。和英辞典はとりあえず持っていったので、それを片手にどうにかコミュニケーションをとりました。何日かすると、辞書を使う必要もなくなり、いつの間にか冗談を言って、ツアーの仲間を笑わしている僕がいました。
このとき思ったのは、「語学は立場の弱い人間が一番身につく」。
例をあげるならばお相撲さん。ハワイやらモンゴルから日本語の勉強をする機会を与えられることなく、いきなり相撲部屋に放り込まれます。番付はもちろん一番下。最も立場の弱い人間です。そんな彼らが、数年後、番付が上がり、テレビにも出るようになると、実に流暢な日本語を話すようになります。サッカー選手にしてもそう。ラモスさんのように、非特別待遇の外国人選手は、日本語が上手になります。
ところが、高い契約金に年棒を払って迎えた外国人選手は、チームでもそれなりの地位が用意されているし、また、通訳がつくので、何年いても、まともな日本語を話すことができません。
本当に英語ができるようになりたかったら、自分を一番下の立場に置くこともひとつの方法です。英語ができなくても、逃げ道のある環境ならば、なかなか英語は身につくものではありません。
日本人が英語ができないのも、植民地にもなったことないし、経済力もあるので、英語のできないのを、金を使って通訳を雇うなりして解決できてしまうからと言ったらば、言いすぎでしょうか?