亀山早苗の恋愛コラム

両親に「ぶたれてホッとして」。殴られて育った私が「殴らない」男性との恋愛にたどりつくまで

父母のどちらかからではなく両方からの暴力が日常だったと振り返る女性がいる。幼少期から明確な理由もなくDVを受け続けてきた30代女性は、「ぶたれるとホッとする」自分の感覚が“おかしい”ことにすら気づいていなかったという。

亀山 早苗

執筆者:亀山 早苗

恋愛ガイド

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殴られて育った子は、殴られないと愛されていないと思い込む可能性がある。愛と暴力が一致してしまうのは非常におそろしいことだ。

何かにつけて手が飛んでくる

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「思えば物心ついたときから殴られていたんですよね」

ユカリさん(34歳)は、ため息をつきながらそう言った。父母のどちらかからではなく、両方からの暴力だった。

「たぶん、親のストレスのはけ口だったんでしょう。私は兄と妹にはさまれた第二子で、小さいときから意地っ張りで口答えの多い子だった。だから親は腹立たしかったんだと思う」

まるで自分が殴られていたことが「仕方のないことだった」と言わんばかりだ。聞いていてせつなくなる。殴られていい子などいるはずもない。

「例えば、ごはんを食べていて、ぽろっとこぼした瞬間、向かいにいる母親から平手が飛んでくる。学校で使う笛を『なくした』と言ったとたん、父親からげんこつが振り下ろされる。実際には笛はなくしたわけじゃなくて、隣の子が間違って持って帰っちゃっただけ。隣の子の親が気づいて、わざわざうちまで届けてくれたんですが、両親は『おまえがぼーっとしているから持って行かれる』って。結局、悪いのは私。正座して謝罪させられました」

子どものころは兄も妹も見ているだけで、あとからからかわれたりもした。だが、彼女はいつも親に愛されている兄と妹を見て、自分もいい子にならなくてはと思う半面、自分がどう振る舞っても親は愛してくれないだろうと感じていた。

そのうち、ぶたれるのはある意味での愛情表現かもしれないとすら思うようになった。そう思わなければ生きていられなかったのかもしれないと彼女はつぶやく。

「もちろん、嫌なことばかりじゃなかったような記憶もあります。両親がすごく機嫌がよくて何日も手を上げられないこともあった。そうすると心がざわざわしてくるんです。何かかえってよくないことが起こりそうな気がして。それでまた些細なことでぶたれるとホッとしていました」

そんな自分がおかしいとはまったく思っていなかったという。

>「逃げたいなら協力する」と言ってくれた人
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