
老後の生活に苦しみたくない、子どもたちに迷惑をかけたくない。そんな理由からせっせと貯蓄や投資をする人たちは少なくない。ところが人生には、常に「まさか」という坂があり、先は何があるか分からないのだ。
「楽しむ」ことを忘れていた
今年70歳を迎えるトシヒコさんは、4年前に妻を亡くし、一人暮らしを続けている。
「60歳で定年退職しました。当時、下の子が大学を出て就職したところで、もう学費もかからない。そこそこ退職金をもらいましたが、それは老後の蓄えに回そうとそれから5年ほどはグループ内の別会社で仕事を続けていました」
妻は前から、「あなたが定年になったら、ゆっくり海外旅行がしたい」と言っていた。だがトシヒコさんには、毎月の収入が減るという恐怖心があった。
「定年後の勤務は嘱託でしたから、前の給料の6割程度なんです。妻は『他にも預金はあるから大丈夫』と言っていたけど、人生、何があるか分からない。僕たち夫婦は、けっこう倹約しながら生きてきたんです」
子どもたちが小さいころは家族旅行もしたが、高校生くらいになると親と旅行はしたがらなくなった。二人とも部活に一生懸命だったし、塾や習い事にもお金がかかった。かといって食べ盛りの子どもたちの栄養は考えなくてはならなかったから、「食費以外の生活費はかなり削った」という。
「妻もパートに出て頑張ってくれました。二人とも大学へ行かせることができたのでホッとしましたね。週末などは妻と二人であり合わせのものを食べたり、二人の携帯電話を安いものに替えたり、少しでも倹約しようとしてきたんです。妻は趣味1つもとうとしなかった。洋服だって家では子どものお下がりのジャージを着ていたし、近所にできた古着屋さんで買ったりしていたようです」
コロナ禍で体調を崩した妻
だから定年になったら、1度は1週間くらいの海外旅行をしたい。それが妻の夢だった。だがトシヒコさんは渋ってしまった。
「65歳で仕事を辞めたら行くことにしようと言ったんです。すると妻は『少しでも若くて元気なうちの方がいいと思うけど』と。今になるとあの言葉が心に刺さります」
6年前、突然のコロナ禍に陥り、トシヒコさんの嘱託は急に打ち切られた。翌年から年金を受け取ることはできたが、そのころ妻が新型コロナウイルスを発症し、半年ほど体調を崩したままだったという。
「早く治れ、治って世間が落ち着いたら旅行に行こうと妻を励ましました」
幸い、妻の症状はよくなったが、実はもっと重篤な病に冒されていることが分かった。
一人きりでどこに行く気にもなれない
4年前、妻が突然、嘔吐するようになった。何を食べても嘔吐が止まらない。あわてて病院に連れていくと、膵臓(すいぞう)がんと診断された。しかも末期だという。
「余命3カ月を宣告されました。さすがに妻には言えなかった。子どもたちには話しました。ショックを受けていましたね。あまりにも急だったから」
トシヒコさんは毎日、妻を見舞ったが、コロナ禍の余波で見舞いの時間は1日30分だけ。のちに特例で時間制限はなくなった。それは妻の死期が近づいている証でもあった。
「医者の見立て通り、3カ月で妻は旅立っていきました。最後の言葉が、『あなたと旅行、したかった』って。本当に申し訳なかった。妻にはいつも我慢ばかりさせてきたんだと思う。でも文句1つ言わなかった。だからこそ、定年退職したところで思い切り楽しい旅行をするべきだった」
お母さんが行きたがっていた旅行をしてくればと子どもたちは言ってくれたが、一人では行く気にもなれないままだ。そして今では一人きり。おはようと言う相手もいないし、世間話をしながらお茶を飲む相手もいない。
楽しい思い出を作ってやりたかった
「立派な墓を建てたんですが、そんなもの何の慰めにもならなかった。一人の生活はたいしてお金も使わないし、楽しみもない。もともと子どもたちに残すことは考えていなかったのだから、二人で楽しめばよかった。僕自身、去年、ちょっと大きな病気をしましてね、もう長旅などできる体力もなさそうなんです」
少しでも若くて元気なうちに旅行した方がいい。妻の言葉が何度もよみがえり、そのたびにトシヒコさんは心を痛めている。
「もうちょっと定年後のお金の使い方を考えるべきでした。闇雲に貯めておけばいい、旅行はいつだって行けるのだから倹約と貯蓄が大事だと思い込み、あげく使うのが怖くなってしまった。妻は僕の知らないところで、少しだけ投資していたようなんですが、妻の死後、名義変更したまま置いておいたら、ここ数年でけっこう増えましてね。でも、増えたことが妙に虚しい」
お金がなければ生活できないが、使うべきタイミングを間違えると深い後悔に苛まれる。後悔せずに生きていく道などないのだろうが、どうせなら楽しい思い出を作ってやりたかったとトシヒコさんは涙ぐんだ。







