「PTSD」とは……長期的に心の傷を抱える「心的外傷後ストレス障害」
典型的なPTSDとは問題のタイプがいささか異なるのが複雑性PTSD。自分が自分ではないような解離症状は複雑性PTSDを特徴づけます
何かショッキングな出来事への心の反応には、いくつかタイプがあります。例えば、心の痛みはその直後が最も強く、時間とともに癒されていく場合もあります。しかしPTSDの経過はそれとは全然違うもの。PTSDの症状には、実は時間はあまり関係ありません。場合によっては何十年も前の出来事が、今しがた起きたばかりのような、悪夢やフラッシュバックとなって蘇ってきます。
このように過去の記憶がいつまでもしつこく心につきまとうケースが、いわゆる「典型的な」PTSDです。言い方を改めれば、国際的な診断マニュアルの、例えば米国精神医学会の『DSM-5』の、PTSDの診断基準に該当するケースと言えます。
複雑性PTSDとは……その原因、そして典型的なPTSDとの違いは?
PTSDで現れ得る問題自体は、上記した命に関わるような状況ばかりでなく、あるレベルを超えたストレス状況ならば、その可能性はあります。PTSDの診断には、原因となっている何らかの、かなりのレベルのストレス状況が必須です。言葉を変えれば、たとえPTSDでよく見られる問題を抱えていても、それを抱える前に、その原因とみなせるストレス状況がなければ、PTSDの診断はできません。
これは複雑性PTSDの診断でも同様です。当人に現れている問題が、ストレス状況に関連する問題であることが、複雑性PTSDを診断する際の前提条件です。
複雑性PTSDで現れる問題自体は、そうしたストレス状況で現れ得る、心的後遺症とみなせる問題です。とはいえ、通常の「PTSD」と診断するには、その際の、いわゆる国際的な診断基準に照らし合わせれば、その特徴的な問題自体は幾つか入っているものの、完全には満たしていません。
それゆえ複雑性PTSDは従来、ストレスに関連する診断カテゴリーの中では、「特定不能型(not otherwise specified)」でした。それが先の2018年に、国際的な診断マニュアルの中で、WHOが出している『ICD-11』に、「複雑性PTSD」が新たな診断カテゴリーとして加わりました。これは、これまで特定不能型と、その病像にあまり踏み込んでいなかった問題に、新しく「複雑性PTSD」と診断カテゴリーが設けられたことは、その病像が精神医学的によりしっかり認識された現れでもあります。
複雑性PTSDの症状……自分が自分でないような解離の症状も現れやすい
PTSDの症状には、いくつかタイプがありますが、具体的な問題としては、抑うつ傾向や不安定な心理状態、あるいは強い不安感などは、PTSDに伴いやすい問題です。複雑性PTSDの場合、こうしたPTSDに伴いやすい問題に加えて、以下のような訴えも一般的です。
(Royal College of Psychiatrist)羞恥心や罪悪感を感じる
身体の感覚が麻痺しているか、鈍いように感じる
物事を楽しめない
薬物の乱用や飲酒、または自傷行為によって感情をコントロールする
現状との関係を遮断する(解離)
精神的な苦痛が原因で身体症状が現れる
感情を言葉で表現できない
自殺したいと考える
突発的にリスクを負うような行動に出る
複雑性PTSDでは、こうした問題のなかでも特に「心の解離」に関する問題がかなりはっきり現れやすいとされています。
ここで、精神医学の基礎知識になりますが、「心の解離」のレベルには、いわゆる白昼夢のような軽いものというべきか、正常範囲から、自分が何かしたことの記憶をなくしている「解離性健忘」のような、明らかな精神症状まで、いくつか段階があります。複雑性PTSDの場合、自分が自分でないような、アイデンティティーに関する問題は、「心の解離」に関して現われやすい問題です。
精神科を受診したい目安と診断に関して
複雑性PTSDの診断には、まずは実際に現われている精神症状に加え、その原因とはっきりみなせるストレス状況が存在していることが前提条件です。何らかの精神的問題のために、日常生活のレベルがかなり低下していて、その日常生活に明らかな問題が現われていれば、精神科を受診することが望ましいです。通常のPTSDの症状が見られるが、従来のPTSDの診断基準(症状のタイプやその深刻度)を完全には満たさない状況の場合、PTSDの類縁疾患とみなせる、複雑性PTSDの診断が出る可能性もあります。具体的には、過去の記憶の想起等の問題はそれほど目立たず、かわりに「心の解離的」な問題が目立つような場合です。
複雑性PTSDは治るの?という疑問に関して
まず第一に指摘しておきたいことは、今日においては「複雑性PTSD」はもとより、どのような精神疾患でも、基本的には「治る疾患」です。そして、それを治すということは、治療を通じて、当人の毎日が当人らしい毎日に戻ること、あるいは当人のポテンシャルが充分発揮できる毎日になることで、それは精神科での治療の基本的ゴールで、それは充分可能です。そして、この「治り」をより効率的にしていくためには、患者さん自身も治療に自ら参加していくことが大事です。いわゆる「リカバリー・ムーブメント」という理念が訴えている内容です。そのポイントとして、患者さん自身が、その医療機関が提供する医療サービスの、お客様であることを自ら意識して、相手に自分の要望をはっきり伝えていくことが大事です。
複雑性PTSDの場合、当人が一番解決したいことが、「何か地に足がついていないような感覚の解消」であれば、治療する側にそれをはっきり伝える必要があります。そして、それが治療する側の頭にはっきり入れば、それに合った心理療法のセッションが組まれます。
自覚症状がある場合、あるいは身近な人がそれらしい場合のポイント
もし複雑性PTSDのような自覚症状があるならば、それはもはや自分の力だけで解決できる問題ではない可能性があります。まずこのことを念頭においてください。それは、専門家の力が必要な可能性があるということでもあります。それで、専門家の助けが必要かどうかをはっきりさせるためには、まずは精神科(神経科)で相談してみることをガイドはおすすめします。また、複雑性PTSDの方が身近にいらっしゃる場合、何が最善の対応になるかはケースバイケースです。とはいえ、どの状況にも共通するポイントとして、複雑性PTSDに悩まされている人は、サポートが必要な状況や場面が、通常よりはっきり多いものです。そうしたサポートが必要な場面では、本人の望む形で、できるだけ力を貸すことが大切です。そして同時に、相手が複雑性PTSDだからと、特別扱いしすぎないことも大切です。ここで特に強調しておきたいことは、何か腫れ物に触るような接し方は、本人にとって大変なストレスになる可能性があります。なるべく普段どおりに接することは、こうした際の大事なポイントだと、皆さま、どうか覚えておいてください。