“歌好きの剣士”が、先生の一言で音大へ
写真提供:東宝演劇部

『マリー・アントワネット』写真提供:東宝演劇部

――プロフィールについてもうかがいたいのですが、まず佐藤さんが歌と出会ったのは?
 
「よく母が童謡を歌ってくれたこともあって、小さいころから歌が大好きでした。通信簿も3段階で全部2の中、音楽だけ3で(笑)。大きい声で歌うことが大好きでしたが、ちゃんと声楽を習い始めたのは高校2年の時でした。
 
それまで剣道をやっていた僕に、音楽の先生が“あなたは声がいいから合唱部に来ない?”と誘ってくださって。入って1か月するとその先生が“音大行ってみる気ないの?”と言ってくださって、“え、こんな僕でも行けるんですか?”“勉強すれば行けると思うよ”という会話があって、“行きます!”とすぐ答えたのを覚えています」
 
――それまでは何を目指していらっしゃったのですか?
 
「学校の先生を目指していました。数学の教師や小学校の先生になれたらいいな、と。実は自分の中で音楽を目指したいという気持ちはずっとあったけれど、母が“音大行きたいなんて言わないでよ、音楽というのは別世界なんだからね”とちょこちょこ言われてたんです。僕を見て、何か予感があったのでしょう。でも先生の一言で、ぱーんと弾けたように心が決まりました」。
 
――音大の声楽部は狭き門ですよね。
 
「そうですよね、でも一生懸命取り組めば、入れない場所ではありません」
 
手探りで“自分の声”を発見するまで
 
――試験に向けて歌声を磨いていったのですね。
 
「僕は発声をやるのがすごく好きでした。最初は高い声も大きい声も、いい響きも出ません。それが、考えてやればやるほどいろんな声が出るようになって。どうやったら理想の声が出るかと研究するのが大好きで、ある種ゲーム感覚もありました。最終的にはいろんな声が出るようになって、“先生、僕、7つの声が出ますけれど、どれがいいですか“と尋ねたことを覚えています」
 
――どのように研究されたのですか?
 
「はじめはいわゆるオペラ的な、“あ~”みたいな(くぐもった)発声で歌ってたのですが、先生に“佐藤君それはね、いい声に聞こえるかもしれないけど、全然いい声じゃないんだよ。男の人にはもっと響くいい声があるみたいよ”と言われて、"響くってどういうことだろう”と毎日、鍵盤をたたきながら声を出し続けました。

何だろう何だろうとやっていたら、1か月ぐらいして、何か当たった感覚があったんですね。これだろうか、と。そうやって一つ一つ、手探りでやっていきました」
 
――独学に近いですね。
 
「僕の場合、先生とのレッスンの間に突然うまくなるっていうことはあまりなくて、先生からアイディアをいただいて家で試行錯誤するなかで、ある日突然ぽこんとうまくなる、ということの繰り返しでした」
 
――声楽家の方は皆さんそうなのでしょうか?
 
「人それぞれで、中には天才的にもとからうまい方もいらっしゃいます」
 
――佐藤さんは自ら声を “開発した”というのが近いでしょうか。
 
「僕はそうですね。はじめは全然歌えませんでしたから。声域だって、今と比べられないくらい狭かったですよ」
 
――人間って素晴らしいですね。
 
「そうですねぇ」
 
三大テノールを“じーっと”観察
 
――そして見事、国立音大に合格されましたが、入学後さらに開花していった実感が?
 
「音大に入ってからも、試行錯誤の日々でした。なかなか高音が出ない僕に、先生は"歳とともに出るようになるから大丈夫“とおっしゃっていたけど、それは絶対嘘、だったら同い年で僕より高音が出てる人は何なんだ、と思ってました(笑)。
 
それで三大テノールの映像をひたすら見て研究したんですよ。喉や口の形はどうなっているんだろう、とじーっと。

すると、例えば喉にある特徴があることに気づくんです。あ、これは僕には無いな、これなのかなと。それを真似してやってみたときに急に高い音が出るようになったりするのが、楽しくて楽しくて」
 
――先生方はある意味”同業者“だから、教えてはくださらなかったのでしょうか(笑)。
 
「もちろん一生懸命教えては下さったんですけど、教わってるときに伸びる生徒は稀で、教わったことを家に帰ってから自分でかみ砕いて、研究しないと絶対うまくならないと僕は思っています。

先生は“僕はこうだったよ”と(体験に即した)アイディアを下さる。それをふまえて、自分だったらどうなんだろうというのを突き詰めていかないといけない。生まれつきの才能があるわけではないので、僕はそう思っています」
 
ひょんなことから出会ったミュージカル
 
――そんな佐藤さんがミュージカルに出会ったのは?
 
「発声が楽しくてオペラ歌手を目指していましたが、先輩方にオペラは公演数も少ないし、役もなかなかもらえないという現状を聞いていた大学三年の頃に、同期の友人に誘われて井上芳雄さんのソロコンサートに行ったんです。

(音大卒の)若い人がこんなに活躍されている世界があるんだと驚きまして、曲もいいし、ミュージカルって面白そうだぞ、と俄かにミュージカルを観に行くようになりました」
 
――ということは、ボーカルグループ(LE VELVETS)結成よりもまず、ミュージカルを志したのが先だったんですね。
 
「はい。大学卒業の時点でミュージカルを目指し、バレエとジャズダンスを習い始めたり、NYで1か月間レッスンを受けつつブロードウェイでいろいろな舞台を観てきたのですが、帰って来た時に、やっぱり発声を考えるとオペラのほうが楽しいかなと迷いが生まれまして。

ミュージカルもいいけどオペラも……と言っていた時に、ボーカルグループのオーディションがあって、合格したんです。そちらでキャリアをスタートしましたが、いつかミュージカルをやってみたいなと思っていて、それが3年前ほど前に実現しました」
 
――ボーカルグループとミュージカルでは、歌唱法にしても違いがあったのではないでしょうか。
 
「違いますね。もちろんミュージカルも全体のチームワークで見せるものだと思いますが、ボーカルグループではミュージカル以上にチームワークが問われます。一人がちょっとでもずれると、(音楽的に)おかしなことになってしまう。トークにしても、うまくいって場が盛り上がるととても嬉しいし、チームワーク的な感覚を強く感じます。

いっぽう、ミュージカルに出るようになって、佐藤隆紀個人を見て、評価していただけるという嬉しさはありました」
 
大きな転機となった『エリザベート』、『キューティ・ブロンド』
 
――ご自身的に特に転機になった演目は?
写真提供:東宝演劇部

『エリザベート』写真提供:東宝演劇部

「たくさんありますが、転機になったとはっきり思えるのは『エリザベート』ですね。

(フランツ・ヨーゼフ役)デビューして2年目のある日、城田(優)君と(山崎)育三郎くんに“なんでシュガーはあんなに大きな声で『好きだ』って歌うの?”と聞かれたんです。“え?”と驚いていると、“だって本当に好きな時に、ああいうふうに相手に向かって叫ばないでしょ?”と。確かにそうだな、と思いました。
 
音楽用語で“ピアノ”と言うとふつう“弱く(歌う)”という意味なんですが、昔、声楽の先生に、“3階席の一番後ろに座っている人がピアノと感じてくれなければピアノじゃないんだよ”と言われて、“それってめちゃくちゃでかいじゃん”と思ったのを今でも覚えています。

つまり、オペラの世界では生声で歌うので、常に声量が大きい。その感覚でやってきたので、『エリザベート』で指摘されて、確かにマイクもつけているし、大きな声で歌うより、リアルな表現のほうがお客さんは感動できる、と腑に落ちました。
 
いい声を聴かせたいというのはエゴでしかない。そうではなく、お客様が一番感動する方法をチョイスしたいと思い、そこから歌い方をがらっと変えたんです。もちろん自分の声の良さ、声量は残しつつ、ちゃんと語るところを語ろう、と。

自分の中で、ミュージカルに対して意識が変わった演目です。
写真提供:東宝演劇部

『キューティ・ブロンド』写真提供:東宝演劇部

もう一つ、その後に出演した『キューティ・ブロンド』も思い出深いです。

それまで自分はずっと技術を磨いてきたので、最初に演出の上田一豪さんに“もっと芝居をうまくなりたいので、技術を教えてください”とお願いしたら、“シュガーは技術はもう考えないほうがいい、うまく演じようとするのでなくて、そのシーンをどういう気持ちでやってるのかを一個一個自分の中で腑に落としていく作業をしていって、ナチュラルに演じたほうがいい”と言ってくださったんです。
 
それも僕にとってはすごくしっくりきて、それまではここはこうしようと、こちらはこうしてと考えることがいろいろあったのですが、無理なく(劇空間に)立てるようになりました。気持ちがすとんと落ちてれば“こうしよう”はいらなくて、自然に動けるし喋れる感覚になりましたね」
 
台詞が楽しくなってきた『スカーレット・ピンパーネル』
『スカーレット・ピンパーネル』撮影:渡部俊介

『スカーレット・ピンパーネル』撮影:渡部俊介


――『スカーレット・ピンパーネル』のロベスピエールも鮮烈でした。2幕の幕開けの一曲で凄まじいインパクトを残していらっしゃいましたね。
 
「『エリザベート』の後だったこともあって、あのナンバーは“語り歌”にしたいという気持ちがすごくありました。でも何度歌っても、録音したものを聞くと“ここ、歌ってるなぁ”と自分で思えて。どうやったら語れるかということをすごくトライした作品でしたね。
 
それと、『スカーレット・ピンパーネル』は初めて台詞が楽しいと思えた作品でした。それまでは台詞が怖くて、歌になると安心するみたいな感覚がありましたが(笑)、一つ自分の中で殻を破ることが出来たと思います。

そう考えると、これまでの一作品一作品ごとに学びがたくさんあって、本当に無駄がないですし、一つ一つ階段を上ってくることが出来たと感じます」
 
“NO”の連続から出発した『マタ・ハリ』
『マタ・ハリ』撮影:岸隆子(Studio Elenish)

『マタ・ハリ』撮影:岸隆子(Studio Elenish)


――『スカーレット・ピンパーネル』はいわゆる悪役ではあっても、彼なりの“志”に従って生きるお役でした。いっぽう『マタ・ハリ』では、自分の中によこしまなものがあるのを自覚しているというお役でしたね。
 
「『マタ・ハリ』では演出家の石丸(さち子)さんに“もっとひねくれて、ゆがんで”と言われ続けましたね。はじめ“こういう役だろう”と思って役作りをして臨んだら、一つ動くたびに“違う”“それも違う”と言われて、稽古にならないくらいでした。

落ち込みそうになったけれど、落ち込んでも何も変わらないだろう、これまでやったものはOKじゃなかったから、がらっと変えてやってみようと思って臨んだら、“それだよ”と言っていただけました。

そこから外れてたパズルがばちっとはまった感じがあって、あの作品では芝居の部分を鍛えて頂きましたね。台詞をいかに伝えるかということを教えていただきました」
 
“やりすぎない”ことを心掛けた『マリー・アントワネット』
 
――最新作の『マリー・アントワネット』ルイ16世役ではどう役を造形されましたか?
 
「今回のルイは、国のことになると面倒くさかったり、どうしたらいいかわからない頼りない王だけれど、国民を思う気持ち、家族を大切に思う気持ちを持った心の優しい王様として役作りをしていきました。
 
文献資料を読んでいると、動じない王だったとか実は賢かったとか、逆にどうしようもない王だったとか、本によっていろいろなことが書かれていてばらばらなんですよ。そんな中で、演出家に言われたことはふまえつつ、自分はあまり(一つの方向に)やりすぎないようにしよう、と考えました。もちろん自分の中で一つ一つ、どんな心情か腑に落としながらの作業でしたが。
 
この作品ほど、共演者にアドバイスを請わなかった作品もなかったですね。それまで芝居に苦手意識があって、共演者に“(僕は)どう見えていますか”と聞いていたのですが、この時はたまたまなのか、あまり尋ねることもなく、自分で考えて役を作っていった感覚がありました」
 
“その先”に行ける表現者に
 
――着実にステップアップされていることがうかがえ、とても頼もしく感じますが、今後はどんな表現者を目指していらっしゃいますか?
 
「やっぱり僕は“すべてはお客様のため”という気持ちを芯に持ってやっているので、“こなせました”ではなく、その先まで行きたいと常に思っていました。この役よかったね、で終わってはいけない。自分が舞台を観に行っても、“よかった”の先に到達してこそ、感動は生まれると思います。“その先”に心を動かす何かがあってこそ、初めて感動できる。

表現者としては、やっぱり自分が満足せずにつきつめていかないと、そこには行けないと思っています。“やれたね、よかったね”ではなく、その先に行けるような表現者になりたい。そう考えると、今目の前にしているバルジャンというのはとてつもなく難しい役だと感じています」
 
――今回もまた、大きな転機になりそうですね。
 
「大きなチャレンジです。だからこそ、楽しみです」
 
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イメージを裏切らない落ち着いたたたずまいと、穏やかな語り口が印象的な佐藤さん。そんな中でも“自身の声”探求のエピソードでは自然と熱がこもり、改めて並々ならぬ歌への情熱が垣間見えました。たった一曲で大きなインパクトを残すその歌声に加え、ご自身とは真逆のキャラクターにも楽しみながら、そしてもがきながら次々とチャレンジする姿に、ミュージカルの次代を担う新星の一人としての頼もしさが感じられます。
 
そんな彼が自分で思っていたよりも早く出会ったという、ジャン・バルジャン役。ミュージカル・ファンなら誰もが知り、それぞれに確固たるイメージのある大役だけに、プレッシャーもひとしおと思われますが、さてどのように対峙し、息を吹き込んでゆくか。来春の開幕を楽しみに待つこととしましょう。

*公演情報*『レ・ミゼラブル』2019年4月19日~5月28日=帝国劇場(4月15~18日プレビュー)、以降名古屋、福岡、大阪、北海道で上演 公式HP
 

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