『ラブ・ネバー・ダイ』観劇レポート:壮麗な調べに乗せて描き出す、人間の暗部と微かな希望
『ラブ・ネバー・ダイ』写真提供:ホリプロ
重厚な響きとともに、舞台中央に浮かび上がる人物。オルガンに向かって一心不乱に作曲をする彼は、やがて譜面を丸めて床にたたきつけ、愛する歌姫クリスティーヌの不在を嘆く。顔の半分をマスクで覆った彼こそは、ファントム。冒頭から主人公がビッグナンバーを狂おしく歌い上げるという、ミュージカルとしては異例の形で、本作は幕を開けます。
『ラブ・ネバー・ダイ』写真提供:ホリプロ
ファントムのピアノが天井へと上がってゆき、入れ違いに降りて来るのがサーカスの団員たち。“コニーアイランド 奇跡は奇跡……”とボリューミーにして精緻な彼らのコーラスに聞き惚れていると、煌びやかにしてどこか妖しい、1907年のNYコニーアイランドが登場。
『ラブ・ネバー・ダイ』写真提供:ホリプロ
前作『オペラ座の怪人』の最後で姿を消し、自ら命を絶ったと思われたファントムは、実はマダム・ジリーの手引きでひそかに渡米し、ここコニーアイランドの遊興施設経営者として成功していたのです。10年間、かたときも忘れることのなかったクリスティーヌがコンサートのため、家族ともどもNYにやってくることを知った彼は、クリスティーヌに自分が書いた曲を歌わせようと、計略を巡らせる……。
『ラブ・ネバー・ダイ』写真提供:ホリプロ
もしも『オペラ座の怪人』事件の当事者たちが、10年という時を経てそれぞれに環境が激変し、満たされない思い、苦悩を抱えるなかで出会ったとしたら。そんな仮定のもと展開する本作では、ロイド=ウェバー渾身のドラマティックな旋律に彩られながら、登場人物たちの剥き出しの感情が交錯。ロマンティシズムに貫かれた前作とは対照的に、人間の内面に踏み込み、その暗部をリアルに暴きながらも、クリスティーヌの子グスタフという存在をきっかけに微かな希望を描き出します。
『ラブ・ネバー・ダイ』写真提供:ホリプロ
ロイド=ウェバーにとっては個人的な思い入れの強い作品ということもあり、今回の日本再演では彼自ら譜面に手を入れ、楽曲をブラッシュアップ。大きな変化としては、ファントムがグスタフを自らの世界へと誘うナンバー“美の真実”に、前作の音楽モチーフが織り込まれたことが挙げられます。
『ラブ・ネバー・ダイ』写真提供:ホリプロ
もともとの楽曲のヘビーメタルの風合いやノリが抑えられた分、ファントムがグスタフの中に見出したものが、誰の目にも明らかなものに。その後の展開が偶然ではなく必然、いわば運命的なものであることを強調する改変と言えるでしょう。
『ラブ・ネバー・ダイ』写真提供:ホリプロ
この濃密な作品において、演技においても音楽的にも一筋縄ではいかない各キャラクターを的確に、かつ個性豊かに体現しているのが今回のキャスト。クリスティーヌへの執着を10年目にして爆発させ、彼女に何としても再び自分の曲を歌わせずにはいられないファントムをエネルギッシュに演じるのは、市村正親さん。艶のある歌声にファントムの心の闇を覗かせ、厚みのある人物像で終始物語を力強くリードします。いっぽうダブルキャストの石丸幹二さんはロイド=ウェバーの楽譜を深く読み込んだ歌唱に聴きごたえがあり、特に冒頭の“君の歌をもう一度”では、ファントムの残虐性を滲ませる台詞さながらの声で歌い始めるも、主旋律に差し掛かってからはオペラのアリアさながらの端正な歌唱。ミューズ無しには創作は出来ないというクリエイターの性(さが)を過不足なく描き出します。
『ラブ・ネバー・ダイ』写真提供:ホリプロ
初演に続いてクリスティーヌ役を演じる濱田めぐみさん、平原綾香さんはソプラノ・ボイスにいっそう磨きをかけつつも、濱田さんは細やかな心理描写がいっそう鮮やかなものに。特にファントムから“愛は死なず”の譜面を渡され、夫ラウルからは歌わないよう懇願された後に舞台に登場するシーンでは、左右袖からラウル、ファントムの視線を感じながら揺れ動く心の内が痛いほど伝わり、観ている側も“歌うのか、歌わないのか”と息を呑みながら凝視せずにはいられません。
『ラブ・ネバー・ダイ』写真提供:ホリプロ
平原さんのクリスティーヌにはあたたかな母性があり、グスタフとのデュエット“心で見つめて”では母子の絆が微笑ましく映る一方で、歌のこととなると突如他のことが見えなくなってしまう芸術家気質とのギャップが際立ちます。
『ラブ・ネバー・ダイ』写真提供:ホリプロ
クリスティーヌの夫ラウル役の田代万里生さんは、酒とギャンブルで身を持ち崩しながらも、子爵としての生来の高貴さがおのずとあらわれてきてしまう人物をアグレッシブに体現。自己嫌悪に包まれながら歌う“なぜ僕を愛する?”では、その美声がなんともアイロニックに響きます。また前述の“愛は死なず”では相当の緊迫感をもってクリスティーヌを見つめ、スリリングな数分間に大きく貢献。もう一人のラウル役・小野田龍之介さんはこれまで演じることの多かった一途な青年像とは一味異なり、物腰にしても歌唱においても柔和さが漂います。この優しさが仇となって負のスパイラルにはまり込んでしまっているラウルの苦しみが滲み、奥行きのある人物造形。
『ラブ・ネバー・ダイ』写真提供:ホリプロ
マダム・ジリー役の鳳蘭さんは日本初演で見せた風格と、怒りが爆発する一幕終わりのナンバーでの凄まじいパワーが今回も目を奪い、同役の香寿たつきさんはオペラ座のバレエを支えてきた人物としての気品、そして娘メグへの芸術家としての冷静な視線と親子の情愛のバランスが絶妙。
『ラブ・ネバー・ダイ』写真提供:ホリプロ
夢咲ねねさん、咲妃みゆさんはともにファントムのためコニーアイランドを盛り上げようと際どい演出のダンスも懸命にこなすメグ・ジリーをけなげに演じ、ショーのシーンでは純粋に作品に華やぎを与えますが、夢咲さんのメグが徐々に“壊れて”ゆくのに対して、咲妃さんのメグは最後の最後まで平静を保とうとするも遂に、といった風情。製作発表時に話題になっていた通り、ジリー母娘役が全員宝塚歌劇団出身とあって、彼女たちの間に無条件に存在する信頼感が自然に役柄上の“親子愛”に生かされており、効果的です。
『ラブ・ネバー・ダイ』写真提供:ホリプロ
現実世界を忘れさせるようなロマンティックな前作『オペラ座の怪人』を起点としながらも、スリリングな物語展開に現代人がどこか共感せずにはいられない苦悩、迷い、挫折感をふんだんに織り込み、観客の感情を様々に掻き立てる本作。肉厚な音の余韻とともに、鑑賞後は間違いなく“大作を観た”と実感できる舞台です。