ファントム役・石丸幹二さんインタビュー
石丸幹二 愛媛県出身。90年『オペラ座の怪人』でデビュー。劇団四季の看板俳優として活躍後、退団。『兵士の物語』『シークレット・ガーデン』『パレード』『ジキル&ハイド』等の舞台、『題名のない音楽界』司会等の映像、そして音楽と多彩に活動している。(C)Marino Matsushima
前作とは趣を変えた“ヒューマンドラマ”
――石丸さんは『オペラ座の怪人』でラウルを演じていらっしゃっただけに、今回のご出演には感慨もひとしおではないでしょうか。
「私の俳優デビュー作ですからね。ミュージカル体験が『オペラ座の怪人』から始まったので、完成度の高い作品に最初に出合えて幸せだったと思います。この作品を軸、メジャーにして、その後の作品を測れるのですから。その第二弾の『ラブ・ネバー・ダイ』は、同じ作曲家が作ってはいますが、『オペラ座の怪人』はストーリーラインを重視して描いているのに対して、本作は(より人間の内面に切り込んだ)ヒューマンドラマになっています。登場人物は同じですが、描かれ方や曲の挟み方が違う風に作られていると感じています」
――構成面でも、本作はユニークな作りですね。主人公のビッグナンバー(“君の歌をもう一度”)から始まる作品は、他にあまりありません。
「それについては、紆余曲折があったと聞いています。もともとのロンドン版は違う形だったそうですが、改訂の結果、(今回準拠する)オーストラリア版で、インパクトの強いスタートになったのです。そういう意味では、現在進行形の作品でもありますね。今回の日本再演でも、楽曲が一部、変わっています」
前作のモチーフが深い意味を持って本作に登場
――製作発表では、『オペラ座の怪人』の楽曲がこちらにも登場すると言及されていました。
「モチーフとして、意味のある使われ方をするんです。ご覧になった方は、完全に前作を思い出してしまうという“からくり”が入れ込まれて、二つの作品が見事に合体しています。たとえるなら、ロイド=ウェバーの音楽が媒介となって、違う国の宇宙船が合体したような感じですね。全く違う2作品が一つの作品のように音楽を通して感じられるところもあり、見事です」
――より、わかりやすくなったでしょうか?
「グスタフというクリスティーヌの息子とファントムの関係性が、よりドラマチックに、わかりやすくなりました。『オペラ座の怪人』をご覧になった方なら“こう来たか”と思われるでしょう。
例えば、グスタフが前作のあるモチーフをピアノで弾いたり、このモチーフがグスタフとファントムの道行のシーンに出てきたり。そしてグスタフはファントムに連れられていった世界を“きれいだ、きれいだ”と喜ぶ。より、前作と重なって見えてくるものがあると思います」
――美意識が似ているグスタフといい関係を築けそうになるファントムですが、突然仮面を外し、子供のグスタフを怖がらせてしまいます。
「あれはですね……、愚かですし、馬鹿なんですね(笑)。素顔を見せてもいいと思ってしまうほど、この子と自分は同じだと錯覚してしまったのでしょう。同じ才能を持っているこの子には理解してもらえると思い込む。人間臭いですね。でも本作には、そんな思い込みや掛け違いがたくさん登場します。クリスティーヌに対してもそうです」
“変わらなかった”ファントムを変えるものとは?
――製作発表では、(『オペラ座の怪人』事件から)10年経つうちに皆、変わっていくが、ファントムだけは変わらないというお話をされていました。
「(一般的な)日常生活を送ってる人々であれば、子供が生まれるとか、10年の間に共通の経過があると思うんですね。でもファントムという人はそういうところから、顔のハンディキャップのために背中を向けたまま、曲を書き続けています。いろいろな曲を書いたでしょう。メグのためにも書いたかもしれない。でも、あのクリスティーヌの歌唱を超えるひとはいない。マグマだまりにマグマがたまって爆発したのが、偶然10年目で、“クリスを呼べ”ということなったのだと、僕は解釈しています。だから他の人間にとっての10年と彼の10年は違って、“何も変化していない時の流れ”だと思うのです」
――(クリスティーヌ役の)平原綾香さんいわく、ファントムは愛の定義を分かっていない。それを教えてあげるのがクリスティーヌ、なのですね。
「クリスティーヌの力だけではなく、加えてグスタフという少年の存在が彼を変えてゆくのだと思います。それまで、ファントムにとっては“獲得するか捨てるか”しかなかったのが、彼らとの交わりの中で、人と“共有する”、自分を分かってもらうために努力することを知る。そこがファントムにとって、本当の愛のスタートだったと思います。クリスティーヌに対する愛は、もともとは征服欲だったかもしれませんが、グスタフを通しておのずと愛を学んでいくことになるのではないでしょうか」
いかにラウルを”否定”してゆくか
――もう一人のクリスティーヌ、濱田めぐみさんは“ファントム役を経た市村さんと、ラウル役を経た石丸さんでは異なるファントムになると思う”と楽しみにされていました。意識されるところはありますか?
「確かにラウルという目線でクリスを挟んでファントムを観ている時の客観的な観方というのは自分の中にはあるので、そこは市村さんと違うかもしれません。けれど本作では『オペラ座の怪人』事件から10年が経過していて、ラウルはかなり崩れてというか変貌していますし、稽古を積んでいくにしたがって、おのずとファントム目線に集約していくと思いますね。(ファントムとして)いかにしてラウルを否定していくかというのが、これからの作業になります」
――“否定”ですか! 元・ラウルとして寂しくないですか?
「寂しいですが、ファントムにとってラウルは『オペラ座の怪人』の台詞(歌詞)の端々にあるとおり、“無礼な若造”であり“愚か者”。つまりは邪魔者であって、それが本作でまた現れる。さらにいっそう邪魔になっているという状況ですから(笑)」
――『オペラ座の怪人』と本作は“繋がっているのか”というミステリーも、ミュージカル・ファンの中にはありますが……。
「私は“繋がっている”と思っています。『オペラ座の怪人』はさきほど申し上げたように“ストーリーライン”を描く(物語重視の)作品で、マダム・ジリーにしても自身の言葉は一切書かれていません。いっぽう、『ラブ・ネバー・ダイ』では彼女しかりメグしかり、野心を口にしています。(第一作では語られなかった)キャラクターたちの本心を描き出したのが本作というところで、両者はドッキングしていると私は思っています。
また本作のもとになっている『マンハッタンの怪人』(フレデリック・フォーサイス著)の巻末には、ロイド=ウェバーに仰いでこの形になった旨が書かれていて、彼が続編を作ることをふまえて情報共有があった、ゆえに繋がっているなと思えるのです」
『オペラ座の怪人』シリーズは半分”ロック”
――今回、この役を石丸さんがなさると聞いて、音楽的な面で驚きがありました。本作のファントムと言えば“君の歌をもう一度”と並んで、“真実の美”というビッグナンバーがありますが、こちらはヘビーメタルそのもので、こういう曲を石丸さんが歌うのか、と。
「実は『オペラ座の怪人』も半分はロックなんですね。“オペラ座の怪人”というタイトルソングの冒頭部分はロックテイストです。ファントム役は、今でこそ世界各地でオペラ系の方がよく演じていますが、ロンドンのオリジナルキャストは、オペラの方ではないんです。だから、本作でロックが出てきても何の不思議はないと思ったし、むしろ(“真実の美”のように)よりビートがワン、ツーとはっきりしているほうがファントムらしいですね。
“真実の美”(を歌うこと)は楽しみですね。この作品の中でファントムが最も広い音域で歌うナンバーです。クリスティーヌに匹敵するくらい出すので、歌いこなすのは大変だなと思いますが(笑)。また、今回この曲の半分ほどに変更が加わりました。Bメロになる部分が新しくなって、かなりドロドロしたメロディが入ってきていて面白いです」
――どんな舞台にしたいと思っていらっしゃいますか?
「私個人としては、一人の男が怪人にならざるをえなかった人生をドラマチックに演じられればいいなと思いますし、観客が納得のいく終わり方にもっていければと思っています。
『オペラ座の怪人』との違いに度肝を抜かれる方もいるかと思いますが、スポットの当て方を変えると、人間たちの物語はまったく別の顔を見せるんだという、一つの指標になるように作りたいですね。『オペラ座の怪人』との共通性を意識しつつ、ファントムの内面に深く入り込んで、彼がどれほど孤独なのかを表現したい。終演後に、“『オペラ座の怪人』を(ふたたび)観てみたい”と思っていただけたら嬉しいですね」
*石丸さんの近年の活躍を振り返るインタビューはこちら。
*次頁で『ラブ・ネバー・ダイ』観劇レポートを掲載します!