様々な演劇が百花繚乱だった学生時代

成河さん。(C)Marino Matsushima

成河さん。(C)Marino Matsushima

――さて、プロフィールについても少しうかがわせてください。成河さんが演劇の世界に入ったきっかけは?
 
「はじめは音楽、それもロックだったんですよ。高校の頃に同級生と洋楽のコピーバンドをやっていたけど、もの足りなさを感じていて、そんなときに演劇好きの親友が清水邦夫の戯曲『署名人』を持ってきてくれて、文化祭で一緒にやったのがきっかけです。その親友が文学、演劇が好きだったんです。
 
大学時代に追っかけていたのは、野田秀樹さんです。こむずかしいものをぶったぎった中にある歴史観の表現が面白かったし、めちゃくちゃななかにも奥行きを感じるんですよね。あとはク・ナウカにも惹かれていました。
 
日本の現代演劇史って、見回してみると先輩たちが喧嘩しているんですよね。“演劇はそうじゃない”“俺たちがやってることが正しいんだ”と言い合って、どれが正道ということではない。新劇があってアングラがあって野田秀樹さんがあって、その後平田オリザさんの“静かな演劇”というものが生まれてきて。個々を見ればとても同じジャンルの芸能とは呼びづらい。僕らの世代はそういう多岐にわたる演劇に影響を受けていて、良くも悪くも、いろんな演劇を屋台でつまみ食いしてるような状態でした
 
それは観る分には面白いけれど、役者を志す者にとっては困ることなんです。それぞれ、技術が違いすぎて、先輩たちに聴いても、あれもこれもやっている人なんていらっしゃらない。断絶が甚だしい。そしてそれに対して疑問の声さえ起らない。自分はあれもこれも好きだけど、そのどちらもやるという道は無いんだ、と思っていました。その後、つかこうへいさんの劇団に行きました。けれども“断絶”に対する疑問は持ち続け、劇団も出て、今はあちこちに手を広げ、演劇の中心にあるものを探し続けています。
 
――模索の中で、ご自身の演劇が見つかってゆきそうですね。
 
「見つかるといいですね、80歳ぐらいで(笑)。今は何なんだろうなと思うけど、わからない。それを知りたくてやってるわけですけれどね」
 

身体表現の“極意”

――『わたしは真悟』では台詞のみならず、フィジカルな表現に目を見張りました。以前からなさっていたのですか?
『わたしは真悟』

『わたしは真悟』


「僕はダンスは特に習ってきませんでした。つかさんの劇団にいたときに少しやったくらいです。運動音痴でフィジカルは苦手だと思っていたんだけど、ある時、舞台での体の見え方というのを、野田秀樹さんに教わったんです。例えばウサイン・ボルトが(一人で)舞台の上手(右)から下手(左)までばっと横切っても、それほど早くは見えない。それよりも、ゆっくり歩いている人の横をバッと抜き去って走るほうが、お客さんには早く見える。あるいは、能役者がゆーっくり歩いて“宇宙をマッハ5で進んでいます”と言われると早く思える。演劇での早い遅い、高い低いというのは、実は認識の“差”の問題なんだよ、即物的な話じゃないんだよ、と野田さんが教えてくださったんです。
『100万回生きたねこ』

『100万回生きたねこ』

この話に衝撃を受けて、それ以来、認識の“差”を使って身体表現をするということが好きになりました。もちろん、決して得意というわけではないけど。その後『100万回生きたねこ』で演出・振付をされたインバル・ピントさんが、様式的な動きではなく、その人個人の個性だったり、体の持っている音色があればそれをダンスとみなすという人で、いかにウソなく体を使うかということを一緒に訓練してくれたんです。その流れで、『100万回生きたねこ』のときに培ったものを『わたしは真悟』で応用し、煮詰めてやらせてもらったという感じです」
 

言葉へのこだわり

――『黒蜥蜴』では改めて、成河さんの台詞術に刮目しました。成河さんの演じた雨宮はそれほど大きなお役というわけではないけれど、終盤の長台詞での言葉のとらえ方、発し方が素晴らしく、一瞬にして劇空間の温度が上がった印象があります。言葉というものにはやはり強いこだわりがおありでしょうか。
 
「言葉にこだわらなかったら役者をやらないですよね。言葉は全てだと思っていますよ。なぜこの言葉がここにあるのか。どの言葉を一番のスピードで発するのか……。それを教えてくれたのは(ロバート・アラン・)アッカーマンです。まず本読みが始まると、本文の1ページ目に入る前に、表紙のタイトルだけで30分止まるんです。“何でこのタイトルなんだろうね”と。一日に4ページくらいしか進まない(笑)。
 
そういう経験があるので、翻訳劇だと“どの言葉に訳すのか”ということにもすごくこだわりたいと感じます。1年かけてでも準備する価値はあると思います、言葉って。日本語には特有の面白さと難しさがあって、主語一つをとっても、英語だと全部“I”だけど、日本語だと“僕”“俺”“僕ちん”“おいら”といろいろある。その中で一つを選びだしただけで、役の輪郭ができちゃうじゃないですか。“本当にこれ、《僕》でいいんでしょうか?“とみんなで吟味するところからやらないとダメなんじゃないかな、と思っています」
 

大作ミュージカル『エリザベート』の手ごたえ

『エリザベート』写真提供:東宝演劇部

『エリザベート』写真提供:東宝演劇部


――ミュージカル・ファンとしては『エリザベート』についてもぜひお尋ねしたいのですが、成河さんのルキーニを観て、本作はルキーニの回顧なのだと、作品の輪郭がわかった方も多いと思います。ご自身の手ごたえはいかがでしたでしょうか?
 
「そう感じていただけるということだけを信じてやっていました。実際のところ、ご覧になった方が全員そう感じていただけたかどうかはわからない。けれど少なくとも僕は、ルキーニという人物は輪郭であって、つなぎの役目ではないと思っていました。そうでないと、『エリザベート』という作品自体、完全なファンタジーになってしまう。そうではなくて歴史劇なのだということを、ルキーニが示さなくてはならない。
 
もちろん、既にご覧になったことがあって、作品内容をご存知の方なら問題ありませんが、問題は何も知らずにご覧になった方が、ファンタジーだったりゲームの世界のように感じてしまったら、この作品を愛する者として、あまりに悔しいじゃないですか。
 
ミュージカルって、古典でもなんでもなく、ここ数十年の“前衛劇”なんです。前に進み続けないといけない。そのためにできることをやりたい、と思いましたね」
 
――また出演してみたい作品ですか?
 
「前回、『エリザベート』に携われたことで、いろんな思考が生まれたんですよ。ミュージカル産業/市場/稽古場を知ることができたし、参加できてものすごく感謝しています。同時に、前回は新参者としてぽーんと飛び込んでいったことで評価してもらえた部分があるので、もしまた機会があれば、もう一歩地に足をつけてやってみたいと思いますね。
 
最初の一発は、思い切ったことをやればみんなびっくりしてくれるけれど、それが二度目以降も通じるのか。もう少し中身が問われたり、あなたの足はどの地面を踏んでるのかと見透かされると思います。一度やって面白がってもらえたからいいや、あれで終わりというのはちょっと違うかな、と思っています」
 
――では最後に。どんな表現者を目指していますか?
 
「……それを考え続ける表現者でありたい。果たして自分は誠実な表現者なのか。死ぬまで悩んでいける表現者でありたいです」
 
*****
稽古に入ってしまえば作品のことしか考えないけれど、稽古期間前には演劇界のことをいろいろと考えてしまうという成河さん。今回も率直に、ミュージカルを含む日本の演劇について語ってくれました。
 
そしてインタビューの最後に、ヴィジョンをお尋ねしたときのこと。質問をしてから“それを考え続ける表現者でありたい”という言葉が発せられるまでには、実に43秒間の静寂がありました。唇に指をあて、真剣に思索する成河さん。決して“空白”などではない、密度の濃いひととき……。『スリル・ミー』を筆頭に、これからもこの真摯な表現者が参加する舞台は一つも見逃せない、と改めて感じられたインタビューでした。
 
*公演情報*『スリル・ミー』12月14日~2019年1月14日=東京芸術劇場シアターウエスト、1月19~20日=サンケイホールブリーゼ、1月25日=芸術創造センター。なお、東京(12/24、1/4、7、11)・大阪(1/19、20)では追加公演が決定。東京公演は10月20日よりホリプロオンラインチケットにて抽選先行受付 公式HP

*次頁で『スリル・ミー』観劇レポートをお届けします!